野村克也さん追悼試合 今も生き続ける教え「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上」

オーロラビジョンには野村克也さんの映像が映し出された

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】風が心地よかった。梅雨の晴れ間。薄暮の甲子園スコアボード上には半旗が揺れていた。

6月29日は昨年2月11日に永眠した野村克也さん(享年84)の誕生日。阪神―ヤクルト戦はかつて両軍の監督を務めた名将をたたえ、追悼試合として試合前にはセレモニーが行われた。

野村さんの息子であり、阪神、楽天では同じユニホームで戦った楽天・野村克則育成コーチ(47)が冒頭でビデオメッセージを贈った。

「まだ父に教わりたいことはたくさんありましたけど、今は母と2人、ゆっくり空の上から野球をぼやきながら観戦しているんじゃないかと思います」

それに続けて野村さんの生い立ちから現役時代、監督時代と往年の映像が流された。克則コーチの長男で孫の忠克さん(19=日大野球部)は「祖父に思いが届くようにと思って投げました」と始球式の大役を務めた。

イニング間には「私のNOMURA NOTE」と題し、それぞれの関係者が野村さんから受け取った言葉が大型ビジョンに表示された

野球界に数々の功績を残した野村さん。特に名言の数々は有名で、一般社会でもよく耳にするフレーズもある。

「財を遺すは下。事業を遺すは中。人を遺すは上」

まさにその通りで、両軍の矢野、高津監督は野村チルドレン。甲子園の解説ブースに座っていた赤星憲広氏も教え子。現在の阪神・嶌村球団本部長は野村さんの専属広報を務めた人物だ。たくさんの人材を球界に残した功績は計り知れない。

数年前、克則コーチと交わした会話の中に印象的なフレーズがあった。

「親父は年齢的にユニホームを着ることはもうない。それでも80歳を過ぎてもメディアの方々に取材で声をかけてもらえる。『克則よ、こんなありがたいことってあるか』ってね。本当に言う通りだと思う。いつまでも人から必要とされる存在でいなきゃなって思うよ」

この世から去ってなお、人々に語り継がれるレジェンド。偉大な父の背中を間近で見て育った克則コーチこそ、野村さんの残した「人」なのかもしれない。

☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。

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