長崎・男児誘拐殺害18年 ある発達障害児と母の歩み ”居場所”が支えに

理解し応援してくれる“居場所”に親子は救われた(写真はイメージ)

 2003年に長崎市で4歳男児が12歳の少年に殺害された男児誘拐殺害事件から1日で18年。市内の女性(46)は息子が当時3歳で「子どもを亡くしたお母さんの気持ちに感情移入していた」。だが加害少年に発達障害があると報じられると、目の前が真っ暗になった。息子が直前に同じ診断を受けていた。親子が歩んだ18年を取材した。

 加害少年の精神鑑定結果を大きく報じる新聞の見出しに、女性は衝撃を受けた。息子の診断で初めて耳にしたばかりの言葉。「私はそういう子を育ててしまうのか」。これからお試し保育の先生に障害のことを伝え、集団に慣らして頑張っていこうとしていた時期に、心が折れた。
 被害男児の遺族と住む地域が近かったこともあり、周囲の人々は事件に関してかなり過敏になっていた。診断名は「とてもじゃないけど言えなかった」。息子が発達障害と告げただけで、女性に関わらなくなった人もいた。加害少年と自分の息子を同じ障害でくくるひどい親-そう責められていると感じた。周りに理解してもらえず、孤独で苦しかった。
 事件から2年後、県発達障害者支援センター「しおさい」が諫早市に開設したことをニュースで知り、すぐにメールを送った。息子と一緒に訪ね、そこから療育機関につながり、息子を理解し支えてくれる人々に出会った。障害のある子を育てる長崎発達支援親の会「のこのこ」に入会し、親たちや療育スタッフに悩みを打ち明け、思いを共有できることが大きな励みになった。
 息子は知的に遅れはないけれど、できることとできないことの差が大きく、繊細で周囲に理解されにくい特性があった。
 それまで「普通の子」に育てようと、息子の苦手なことに目が向いて怒ってばかりだった。だが、学びを通して「特性を理解し、良いところを伸ばそう」と考えられるようになり、息子の興味にとことん付き合うようになった。
 「この子の世界って何て楽しんだろう」
 親が変わると息子と関係も良くなった。息子は生き生き育つようになった。
 「発達障害といっても人それぞれ。悩みを共有し『一緒に頑張ろう』と言ってくれる存在に救われた」
   ◇
 「(男児誘拐殺害事件の加害)少年と同じ歳になり、思春期が来る」。3歳の時に発達障害があると診断された息子が少し大人になって、親の役割も変わっていくことを感じた。息子が中学に入学した日の帰り道。母はこう伝えた。
 「これからはいつも横で歩くことはできなくなるかもしれないし、あなたも求めなくなるかもしれない。だけど振り向いて手を伸ばしたら届くところにいるからね」
 息子は長崎市内の高校に進学した。次第に、学校生活にさまざまな悩みを抱えるようになった。そんな時、療育の先生に誘われて、高2の夏休みを米国で過ごした。個性豊かな人々に出会い、いろいろな生き方や価値観を知ったようだ。息子は帰国後「馬と関わりたい」と言い始めた。「自分らしい生き方して良いんじゃない」と女性は後押しした。
 息子は通信制の高校に転校し、16歳から親元を離れて馬との生活を送っている。馬を介してさまざまな出会いや経験があり、自信や挑戦、責任や喜び、思いやりや気持ちのコントロールなど多くの学びを体験している。
 4年ほど前から、女性は悩みを抱えながら子育てする親たちに向けて、講演で自身の経験を話すようになった。発達障害のことが知られるようになり、制度も昔より整いつつある。だが共働きや核家族が増え、コミュニティーに属さない人も多く、家族の支援をさらに充実させる必要性を感じている。
 「息子の特性を真に理解し受け入れるまで時間はかかったけれど、1人じゃないと分かって救われた。息子も『応援団』がいるから自分らしく頑張れる。一番大切なのは支えてくれる“居場所”だったのかな」

 


© 株式会社長崎新聞社