西武・松坂大輔 約束の200勝届かず…返せなかったウイニングボール

西武・東尾監督(当時=右)からボールを託された松坂(1998年)

平成の怪物が現役にピリオド…。西武・松坂大輔投手(40)が今季限りでの引退を決意した。1998年に横浜高で春夏連覇し、翌年には西武のドラフト1位ルーキーとして新人王を獲得するなど球界を席巻。メジャーでも活躍した「時代のアイコン」が23年間の現役生活に幕を閉じる。

14年ぶりに古巣西武に復帰し、2年目となった今季は、昨年7月に受けた脊椎内視鏡頚椎手術のリハビリに励むも実戦復帰に至らず。手術の影響で右手指にしびれがあり、感覚が戻らなかった。手術から1年が経過。復帰へ向け懸命なリハビリの日々が続いていたが回復の見込みも立たず、引退の意思を球団や関係者に伝えた。引退試合などの予定は現時点では未定だが、再び西武のユニホーム姿で本拠地のマウンドに立つことへの期待は大きかった。このまま去ってしまうのではあまりにも寂しすぎる。

1年目から自信満々だった。ルーキーという立場をわきまえ、謙虚に努めてはいた。だが「自信が確信に変わりました」との名言を口にする前からプロで結果を残すイメージはできていた。入団3年目の2001年に3年連続最多勝、沢村賞を決めた後「今だから言えるけど、本当は最初から何とかなると思ってました」と、いたずらっぽく笑った顔が懐かしい。

順調にプロとして、スーパースターとしての階段を駆け上った。憧れだったイチロー先輩と同じ土俵に立ったのは07年だった。ポスティングでレッドソックスに入団。入札金額と契約年俸を合わせると100億円を超える取引は、世界中で話題になった。

1年目から15勝を挙げワールドシリーズ制覇に貢献。メジャーでは計8年で56勝を挙げた。06年、09年のWBCでは2大会連続MVPに輝き、侍ジャパンの世界連覇にも貢献した。

ただ、現役晩年は故障との戦いが続いた。15年から日本球界復帰。右肩を痛め、所属したソフトバンクでは3年間で1試合の登板に終わった。18年からはテストを経て中日に入団。6勝をあげカムバック賞を獲得した。そして20年からは古巣の西武に復帰したが、故障の影響でマウンドに帰ってくることはなかった。

昨年7月の手術直後、珍しく弱気な言葉を聞いた。「あきらめずにまた一軍のマウンドに戻れるように頑張ります」という言葉は素直に読み取れた。だが、その前に「正直、復帰出来るか分からないですけど」というフレーズで前置きがあった。それだけの覚悟で、わずかな望みに賭けていたことが今になってみれば分かる。

入団時、東尾監督から200勝達成時のウイニングボールを預かった。自らが偉業を達成した時にボールを返す約束を果たすことはできなかった。ただ日米通算170勝の輝きは多くのファンの心を熱くさせた。平成を彩った「松坂世代」の看板を担ぎ続けた男の背中。背番号18を忘れることはないだろう。

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