【高校野球】春夏甲子園Vもイップスも「天国から地獄まで経験した」 指導者として生きる“武器”

興南のコーチに就任した島袋洋奨氏【写真:松永多佳倫】

元ソフトバンクの島袋洋奨氏は今年2月に母校・興南のコーチ就任

例年は全国で最も早く開催される全国高校野球選手権の沖縄大会。しかし、今年はコロナ禍によって通常の開幕日を1、2週間ほどずらして7月3日に熱戦の火蓋が切って落とされた。そもそも沖縄県は出場校数が70弱なのに、なぜ夏の県大会はどの都道府県よりも早く開幕し、大会期間が1か月もあるのか。【松永多佳倫】

実は、離島の高校への配慮からである。予算に限りがある離島勢にとって、沖縄本島での試合は交通費や宿泊費が大きな負担となる。無駄な連泊を避けるため早めに大会を設定し、優先的に試合を消化させているのだ。

緊急事態宣言下で開催される沖縄大会で、球児たちは聖地“甲子園”を目指して戦う。優勝候補は、選抜高校野球大会出場で春季九州大会優勝の具志川商と、九州大会ベスト4で左の大城京平、右の大山北斗の両エースを揃える興南。この2校の力が抜きん出ている。

興南といえば、現在オリックスで大活躍中のサウスポー・宮城大弥投手の出身校でもあり、現在の3年生は宮城の2つ下になる。さらに今年2月には2010年にエースとして同校を春夏連続全国制覇に導いた島袋洋奨氏がコーチに就任した。沖縄のヒーローでもある島袋氏に、コーチに就任して4か月、そして初めての夏の大会を迎えるにあたって抱負を聞いてみた。

「就任して4か月経ち、野球でもそうですが、生徒自身との関わり方でまだわからない部分が出てきているのが実情です。ちょうど歳が一回り違うんですが、僕らの時代よりも求められていることが多くなっていますね。例えば、練習前の準備ひとつをとってみても僕らの時にはなかったものがいくつかあるので、覚えるだけでも大変だろうなと思いましたね」

コロナ禍で自主練期間も「創意工夫すれば内容の濃い練習はできる」

たった4か月では選手全員の心を掴み切れないのは当然だ。しかし、この短期間で選手たちと嫌というほど触れ合うことができた。島袋氏の野球人生の中でも最も充足し、潤いを与えてくれた期間でもあった。

2020年4月1日に興南高の職員となった島袋氏は2021年2月上旬に学生野球資格回復者として認定されるまで、野球部員と一切接触できなかった。廊下ですれ違っても面と向かって挨拶することもできず、野球部の練習も隠れるように見ていただけだった。心が締め付けられ、歯がゆかった。

いくら知識を覚えてもそれを使いこなす場がなければ机上の空論と同じように、外側から試合を観ながら多角的に各選手のデータを分析しても、それを直接本人に効果的に伝えけなれば何の意味もなさない。現場でともに汗を流し、選手たちの息吹を感じることで閃くのが指導者でもある。島袋はつくづくグラウンドに立つ重要性を知った。

しかし、島袋氏がコーチとして現場復帰した沖縄は、安穏と野球ができる状況ではなかった。4月12日にまん延防止等重点措置が施行され、5月23日から延長を含め7月11日まで緊急事態宣言が発令され、全国で最も長期間にわたる宣言の対象地域に。夏大会に向かっての大事な期間をどういった形で練習してきたのだろうか。

「復帰した時からすでに練習時間は短縮され、練習試合もできない状態でした。5月23日に緊急事態宣言が発令され、6月5日から20日まで休校になったため部活動もできず自主練という形を取りました。今回のコロナ禍によって短縮された練習時間を当たり前だと思ってやるのは絶対違います。どんなことがあっても言い訳はしてほしくない。例え短い時間でも創意工夫してやっていけば、内容の濃い練習はできます。どんなことであれ自分の限界の最大値を大きくする。状況は他の高校も一緒ですから」

2010年春夏全国制覇も大学ではイップスに苦しむ

コロナ禍だからといって短時間の練習しかできなかったのは言い訳に過ぎない。島袋氏は選手たちに「気の毒だ」「可哀想」などといった慰めの言葉を一切発しなかった。

「沖縄は大体ゴールデンウィーク後に梅雨に入って明けると同時にすぐ夏の大会なので、春の大会でしっかりチームをまとめて課題を出していかないと夏には間に合わない。このチームはいろんなことをやっていく中で、何が良いのかをチョイスしていくのが方針。だから皆が納得して練習に取り組みました。量に関しては僕たちの頃のほうが多かったですね。休みも正月だけだったし……そこは今も変わってないですけど」

異なる状況下でも島袋氏は自分の代と現3年生たちを比較し、指導者として妥協のない見解を述べる。逆に言えば、それだけ彼らに期待をかけている証拠でもある。

「このチームは九州大会に行くまで県外のチームと戦ったことがなかったので、今となっては九州大会が非常に大きな意味を持ったと思います。初めて内地(本土)のチームを見て自分たちとの違いを目の当たりにし、このままじゃダメだと感じて自分たちで変わろうと自覚が芽生えたことが大きかったと思います」

島袋氏は高校1年夏からエースとして投げ続け、甲子園出場4回。3年時には甲子園で無双の投球を披露し、春夏連覇を達成した姿はまだ記憶に新しい。プロ志望届を提出すればドラフト上位指名が確実視されていたが、中央大に進学。甲子園のスターは神宮でも輝きを放った。1年春から投げ、結果を出していた。しかし、2年秋にイップスにかかり、どん底を味わう。抜群だった制球は乱れ、イニング数より与四球数が多いシーズンを過ごすなど、成長曲線は突如として止まった。

ソフトバンクでは現役5年間で未勝利に終わった

4年秋の最終シーズンでなんとか復調の兆しを見せ、ソフトバンクにドラフト5位指名されたが、春夏連覇した高校時代のポテンシャルが加味されたものだったかもしれない。結局、5年間で1勝も挙げられず現役引退。

「まあ、天国から地獄まで経験しましたね。この経験を生徒たちに伝えることで軌道修正に繋がるなら、僕が経験してきたことは良い道だったのかと思います。人生は良い時ばかりでなく悪い時も往々にしてあります。そんな時に『あんなこと言っていたなあ』と思い出してくれるだけでもいいと思っています」

2度と味わいたくない経験は、むしろ指導するうえでこの上もない武器になると、島袋は改めて感じている。

「具体的に目指していきたい指導者の方はいません。自分が求めていく指導者像として自分なりに解釈し、部分部分では真似していきたいと思うかもしれませんが、この人のようになりたいとは思いません。とにかく、この夏ですから」

精悍な顔つきできっぱり言った。島袋氏の第2章となる夏は、まだ始まったばかりだ。(松永多佳倫/Takarin Matsunaga)

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