【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】15年程の濃い付き合い“たこちゃん”は妖精のような存在だった

たこ八郎が書いた約束の貼り紙

そしてゴールデン街交友録。極めつけは“たこちゃん”(たこ八郎)だろう!

たこちゃんとの因縁は書き出したら50回では終わりそうもない。が、駆け足で話そう。

たこちゃんは昭和16年生まれ、私の兄貴と同い年。6歳上。が、お互いに何故か馬が合い、とんでもない付き合いとなった。…出会いは前にも記した店「小茶」だった。

短パン、ランニングシャツ姿に下駄を履いてフラッと現れたのがたこちゃんだった。皆んなが「あっ! たこちゃん」と親しみを込めて呼んでいたのが印象的だった。住まいが眼と鼻の先(大久保百人町)だった事もあり、出会いから別れまで15年程の濃い付き合いとなった。

本名・斉藤清作。元ボクシング日本フライ級チャンピオン。カッパの清作と呼ばれ、壮絶な闘いぶりで人気があった。「明日のジョー」のモデルともいわれていた。防衛戦を2度闘い、引退。その後、由利徹の内弟子となりコメディアンの道へ。その頃(1970年頃)たこちゃんはその百人町の路地で「たこ部屋」という飲み屋をやっていて、その2階の四畳半のアパートに寝ていた。東映俳優仲間が集まり良く呑んでいた。

といっても店には酒がなく、近所の酒屋で買って持ち込み。「場所代だよ!」と適当なお金を置いていく。たこちゃんは3畳ほどの小上がりに酔っぱらって寝ている…。とてもオーナーの顔ではない。そんな日々。そして夜中に起き出し「小茶」へ。

そのうちに、自分のアパートに帰らずに、我が家に泊まる事の方が多くなる。私の劇団「はみだし劇場」の仲間と一緒だったり、ゴールデン街仲間と連れだって我が家で宴会の日々。2~3日姿見ないな…と思ったら、由利徹邸だったり、下落合の赤塚不二夫の家に遊びに行ってたり。木曽の私の実家にも何度か一緒に行った。自由気ままに、まさに自然児そのまま、妖精のような存在だった。

寝てて朝方「トクトクトク」と酒瓶の注ぐ音が…。見るとコップ片手にもう呑んでいる。「たこちゃん、朝から酒はダメでしょう!」と取り上げ窓から酒を捨てた事も何度か。「すべて酒は朝とひるはのまません たこ八郎」(原文ママ)と書いた約束の紙も何度となく貼り、剥がしては又貼り…。でも憎めない愛すべき人だった。(敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。椿組花園神社野外劇「貫く閃光、彼方へ」7月7~20日上演。

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