30年前は常識だった“サイン盗み” ノムさんの「やめようや」発言にまさかのツッコミ

スパイ行為に顔をしかめていた野村監督

【赤坂英一 赤ペン!!】6日のヤクルト―阪神戦(神宮)で“サイン盗み疑惑”が持ち上がったと聞き、30年近く前の某球団のコーチと選手のやり取りを思い出した。コーチが「二塁へ行ったら(打者に)コースを伝えろよ。高校で教わっただろ」。怒られた選手は「すいません」と頭をペコリ。

もちろん、グラウンド上であからさまにそんな“指導”をしていたわけではない。が、当時は「野球にノゾキやサイン盗みは付き物」というのが半ば常識だったのだ。そうした実態を率直に指摘していたのが、かつてのヤクルト・野村克也監督。1998年10月30日、セ監督・代表者会議前日、スパイ行為を問題にするのかと聞かれ、ハッキリとこう答えたのである。

「毎年その話が出とるんや。何年か前、監督同士で、やめようや、と紳士協定を結んだが、本当に守られとるんかと。このへんの意見を出す必要がある。もし見つかったら、そのチームの監督を永久追放にするとか、厳罰も含めて話をせんとな」

ちなみに、ノムさんが南海(のちダイエー、現ソフトバンク)の選手、兼任監督だった時代は、スパイ行為など当たり前だったそうだ。しかも、二塁走者によるコースや球種の伝達より、もっと手が込んでいたという。

「昔はほとんどの球団がやってたよ。われわれの時代と違い、今はカメラがよくなった。技術的には数段進歩しとる。最近もどこかの球団がやっているとは聞いていた」

そんな野村発言の背景には、98年のシーズン中に発覚したダイエー(現ソフトバンク)のスパイ疑惑がある。元球団職員とアルバイト学生が選手3人の依頼を受け、外野席から相手捕手のサインをノゾキ見し、メガホンで球種を知らせる合図を送っていたというもの。

この疑惑を告発した地元紙の報道を受けて、当時の川島コミッショナーもダイエー球団に調査を指示。結局はウヤムヤに終わったと記憶するが、この事件をきっかけに、ベンチ裏のモニターが撤去、スコアラーによる試合中のデータ伝達なども禁じられた。

ノムさん発言はそうした事態を憂慮してのものだったのだが、これに他球団のスター選手がカミついた。「ダメだダメだと言ってる人がやってる」と、名指しはしなかったが、暗に野村監督を批判。これに当時のヤクルトの球団社長が「野村監督だから疑われちゃうのか」と応じるというオチがついた。

そんな時代に比べると、今は野球界も健全になったとつくづく思う。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

© 株式会社東京スポーツ新聞社