「手の政策」を

 「話し手」「働き手」のように、手には「人」の意味がある。「手が足りない」「手を差し伸べる」と言う場合は「支援する力」を表していると、哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)さんはエッセー集「人生はいつもちぐはぐ」(角川ソフィア文庫)に書いている▲手伝い、手当て、手ほどき。どれも〈相手の立場になって、心を込めて、他者にかかわる様子がよく出ている〉と鷲田さんはつづっている。時として、手には心が宿る▲今の混乱ぶりを見ていて、足りないのは「手」ではないかと思い至る。共同通信の最新の世論調査によると、菅内閣の支持率は35%台に落ち、これまでで最低になった。新型コロナへの対応を「評価しない」層は6割台に上る▲酒を出す飲食店とは取引をやめるよう、販売業者などに求めようとしたが、批判を受けて取り下げた。こうした「締め付け」にも映る政府の強引さが、支持率低下に表れたとみられる。心の宿る「手」には程遠い▲それに比べて、勇み足と思える場面は数多い。東京五輪について、ただ「安全、安心な大会を実現する」と繰り返す。自治体にいきなり「ワクチン切れ」を告げ、接種の予約に急ブレーキがかかる…▲手間、手厚さ、手堅さ。取るべきは“手の政策”に違いないが、勇み足に先走りと、足にまつわるものばかり目立つ。(徹)

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