【幕末維新 山口れきし散歩】 No.18 「誓安寺初代地跡」

▲炎昼をゆく

 1614(慶長19)年、吉敷郡鋳銭司村(現・山口市鋳銭司)を訪れた僧・専芸(せんげい)は、同村の大村堂敷(どうしき)の地に一寺を建立し誓安寺(せいあんじ)と号した。     

 その後、2代・順哲、3代・専教、4代・素源と続き、5代・有禎の弟・瑞嶺が、別に一家を興し椙杜(すぎのもり)と称した。だが、2・3代が相次いで他界。そこで、隣の陶村の庄屋・重富家の息子・良庵(りょうあん)が、鋳銭司村の末広家の娘を娶り椙杜家を継ぎ、姓を村田と改めた。さらにその娘むめが、隣の本郷天田村(あまだむら)の藤村家から孝益(こうえき)を養子に迎え、やがて、ふたりの間に長男・宗太郎が誕生する。      

 宗太郎は、後に良庵、蔵六と改めると、1865(慶応元)年には藩命により、大村益次郎と改名した。    

  防長史談会山口支部長 松前 了嗣

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