【新宿ゴールデン街交友録 裏50年史】この街の雰囲気を創りだしていた愛すべき奇人変人たち

これが街の有名人・タイガー。2019年にはドキュメント映画「新宿タイガー」が公開された

ここでゴールデン街の奇人変人を紹介しようか? まず、流しのマレンコフ。誰も本名は知らなかった。この街ではマレンコフで通っていた。かのソ連時代の政治家・マレンコフに似ていたので呼び出したんだと思うが、誰が名付け親かは不明。が、本人もそれで満足してたからいいのだろう。1970~80年代。良き時代の街の人気者だった。

ギターと分厚い歌本を持ち歩き、客が唄いたい歌のタイトルを告げると「213ページ」などと即座にその歌詞のページを告げる様はまさに神業的であった。腱鞘炎となり一時アコーディオンに変えたが、又、ギターに戻していた。聞いたら「アコーディオンは重くてね」とボヤいていた。マレンコフのギターで唄いたいが為に呑みに来ている常連客も多かった。

自分では唄わず、お客さんの雰囲気や、音程がずれてても気にせず合わせてくれてたから、誰からも好かれていた。クラクラにもよく来てくれ“歌声酒場”となりよく唄い合った。

2009年9月、肝硬変にて死亡。葬儀にはゴールデン街のオーナー達が駆けつけ賑やかに見送りした。勿論、私も。マレンコフこと本名・加藤武男。素敵な人生だったと思う。

他にも三味線弾きの流しや、ギター抱えた流しのお兄さんも大勢いて街の雰囲気を創りだしていた!

70年代には酒場以外に、中華屋(長崎屋)や八百屋、定食屋(たる扇)、タバコ屋(未亡人、人気者だったな!)などが並び、この街特有の色を醸し出していた。その長崎屋のおばちゃんも豪傑だった。小柄な身体なのに出前でラーメンを届けに来た時など「おばちゃん一杯いく?」と聞くとうなずき、日本酒のコップ酒を一気に流し込み「あんちゃんには内緒だよ!」とケロッとして帰っていく。飲み歩いてるのを見つかると店のお兄さんに叱られるからだ。その呑みっぷりは惚れボレしたものだ。勿論、お金は頂かない。そんな人情が通じる時代だった。

新聞配達の“タイガー”も変人入りだろう。この街というより“新宿タイガー”として今日も颯爽と歌謡曲を流しながら、新宿の街を自転車飛ばし走っている事だろう!(敬称略)

◆外波山文明(とばやま・ぶんめい)1947年1月11日生まれ。役者として演劇、テレビ、映画、CMなどで活躍。劇団椿組主宰。新宿ゴールデン街商店街振興組合組合長。バー「クラクラ」オーナー。椿組花園神社野外劇「貫く閃光、彼方へ」は20日まで上演中。

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