「特別な舞台」力出せず まさかで終わった4度目の挑戦 体操・内村

 体操の日本代表史上2人目となる4大会連続五輪出場。これまで同様、金メダルの期待が大きかった内村航平(32)=ジョイカル、長崎県諫早市出身=が24日、まさかの結果で五輪への挑戦を終えた。こだわり続けてきた全6種目の個人総合を捨て、種目別鉄棒に専念して立った「特別な舞台」で予選敗退。「何やってるんだ、ばかって感じ」。自嘲気味に話す表情には、無念さがにじんでいた。
 両親が諫早市内で経営する体操クラブで、幼いころから指導を受けて育った。市立諫早中3年まで「スポーツクラブ内村」に所属。中学時代は全国42位が最高だったが、卒業後に上京して才能が開花した。
 一躍、日本中に名前が知れ渡ったのは19歳で初出場した2008年北京五輪。いきなり団体総合と個人総合で銀メダルをつかんだ。12年ロンドン五輪では個人総合で県勢初の金メダルを獲得。団体総合、個人種目別床運動でも銀メダルを手にした。16年リオデジャネイロでは悲願の団体総合優勝と個人総合V2-。いつしか「絶対王者」と呼ばれるようになった。
 だが、リオの後は「挫折を味わった5年間」だった。17年世界選手権の跳馬で左足首を痛めて途中棄権。9年間続いた国内外での連勝記録が「40」で止まった。近年は両肩痛に苦しみ、19年全日本選手権で予選落ちしたときは、東京五輪出場を「夢物語」と切り捨てた。
 再び脚光を浴びるようになったのは、鉄棒専念という判断をしてから。プライドを捨て、必死にはい上がった。厳しい選考会を勝ち抜き、三たび五輪の頂点を視界に捉えるまでに復調した。だが、ずっと栄光をつかみ続けてきた五輪の舞台は、最後の最後にほほ笑んでくれなかった。
 そんな誰もが予想していない結果にはなったが、これまで内村が積み上げてきた功績が色あせるものではない。地元や関係者からはねぎらいの声が上がった。母校諫早中の校長で内村の叔父、小川太洋さん(58)は「これまで十分すぎるほど頑張ってきた。4大会連続で出ただけでもすごいこと。子どもたちに夢や希望を見せてくれてありがとう」と感謝の言葉を口にした。

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