1964年生まれのモノレール

大井競馬場前を疾走する空港快速。11駅中4駅しか止まらない快足ぶり

 【汐留鉄道俱楽部】1年延期された東京五輪の開幕を前に、東京は4度目の緊急事態宣言に突入した。これだけ宣言が続くと「緊急」という気がしなくなってくるが、引き続き不要不急の遠出は控えざるを得ない。というわけで今回は、都心と羽田空港を結ぶ東京モノレールのお話。

 都心側のターミナルである浜松町は、JRとの乗り換えがスムーズ。東京モノレールはJR東日本のグループ会社なので、京浜東北線の快速は停車するし、山手線各駅との割引切符もあり、JRとの乗り継ぎのしやすさを前面に出している。

 浜松町といえば、世界貿易センタービルが6月末、閉館した。1970年に完成、当時は霞が関ビルを抜いて日本一の高さだった。「IT環境などが時代のニーズに合わなくなってきた」ため取り壊し、新ビルを建設するという。なんとなくモノレールの駅とくっついている印象があるが、あくまで別の建物。そのモノレールの駅ビルも地区の再開発の中で建て替えられるそうだ。

 お恥ずかしい話だが、モノレールの駅名が「モノレール浜松町」だと今回、初めて知った。車内放送では「浜松町」と言っているし、正直、正式名称を聞いたことはない―というのは苦しい言い訳…。

 モノレールの魅力は何より景色が楽しいところだ。新幹線の頭上をまたぎ、高層マンションの横を駆け抜け、運河の上を快走する。タイヤ走行のため、線路の上を鉄輪が走る一般の鉄道と違い、急勾配に強い。ジェットコースターほどではないが、空中から一気に水面下のトンネルに潜り込み、再び高架に躍り出るのは、なかなか楽しい。

羽田空港第3ターミナルは、ホームの端に撮影スポットが設けられている

 京浜急行電鉄との最初の接続駅、天空橋の次が羽田空港第3ターミナル(旧・羽田空港国際線ビル)。新整備場を挟んで羽田空港第1ターミナル、終点の同第2ターミナルと続く。ターミナルの数字が3→1→2と進むのがちょっとややこしい。

 東京モノレールは前回の東京五輪が開かれた64年に開業した。東海道新幹線が五輪開会式のわずか9日前(10月1日)だったのは有名な話だが、東京モノレールも9月17日と、これまた「駆け込み」開業だった。海外からの参加選手や観光客の輸送機関として期待されての門出だった。

 がしかし。五輪後の不況や高い運賃設定により乗客数が低迷、経営危機に陥る。草創期の苦難の歴史は、85年に編まれた社史「20年のあゆみ」に詳しい。そもそも計画当時は新橋発着を目指したが、土地取得が難しく断念、浜松町もヘリポートを造る計画があって交渉は難航した。開通後の経営難を乗り越えてからも、成田空港開港による国際線の撤退や、空港拡張に伴う延伸と、いやはや、多難の道を歩んできた。

 現在直面する課題は最大のライバル、京急とのシェア争いで、運賃値下げなど京急の攻勢は激しく、ちょっと差が付けられた格好だ(確かに山手線の西側は品川接続の京急の方が便利)。空港アクセスには貨物線を利用した新線も計画されていて、モノレールには一層の奮起が望まれる。頑張って~!

 ☆共同通信・八代 到 モノレールも、新幹線も、そして私も64年生まれ。思えば遠くに来たもんです。

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