スキー愛好家の“駆け込み寺”といえる有限会社小島スポーツ(新潟県上越市)

今の時期でもスキー板がずらりと並ぶ店内

スポーツ用品店「小島スポーツ」を展開する有限会社小島スポーツ(新潟県上越市)の店舗は、新潟県上越市高田地区のあまり目立たない場所にあるが、スキー好きの人たちにとってはまさに「人に知る人ぞ知る名店」である。

「最近はこういう店が少なくなった」と話すのは同社の小島康資代表だ。小島代表は1級建築士として東京の建築事務所で働いていた時、スポーツ店を営んでいた母が交通事故で急死し、急遽店を継ぐことになったという。

元々は小島代表の祖父が、それまでの材木商から、大正11年に小島スキー製作所としてスキー板の製造を始めた。その少し前にオーストリアのレルヒ少佐が上越市の金谷山でスキーを教えて、一般にも普及し始めていたためだ。そして今から40年ほど前、小島代表が店を継いでからスキー板の製造はやめ、それからはスキー用具の販売店となった。

例年、9月から4月中旬までスキーの客が来店するため、夏バージョンの今の売り場はスキー関連商品が一番少ない状態。9月上旬から春物を仕舞って、12月・1月のピーク商戦に備える。売上構成比はスキー板とスキー靴で、約60%を占める。40歳代以上の固定客が多く、上の年代では80歳くらいの人もいるという。

「うちの店は中級者以上が来るので、初心者の動きが分からないが、スキー人口はバブル期の半分以下で、年々平均年齢が上がっているのではないか。40年前には上越市に20軒ほどスキー販売店があったが、みんな辞めてしまった。スキーのメーカーも上越地域に10社以上あった。昭和30年代、40年代は日本でも一番スキーを作っていたと思う」と代表の弟で、同店店長の小島昌弘さんは話す。

スキー用具販売店の減少について小島店長は、1971年のニクソンショックでドルがそれまでの360円から下がり、輸出産業が大半だった日本のスキー産業が衰退したと説明する。「外国人用は2メートル近くあり、身長の高くない日本人には合わず、ほとんどが不良品になってしまった」(小島店長)。

こうした状況であっても「やはり、上越地方に1軒くらいスキー専門の店があってもいいんじゃないかと思っている。スキーの好きな方たちが続けられるように、お手伝いができればという意識が強い」と小島店長は話す。

有限会社小島スポーツの小島康資代表

同店のサービスについては、ゲレンデ用や競技用スキー板の金具付けなどのサービスが主流だが、最近はバックカントリー用の客も多くなったという。小島店長は「バックカントリーはスキーと全然違うので、最初は手間取ったが、メーカーと打ち合わせして教えてもらって今はだいたい対応できるようになった」という。

また、スキー靴は顧客の要望に応じて修理する。同店の腕の見せ所だ。具体的には、足の指やかかとなど靴にあたる部分を遠赤外線の熱をあてて少し柔らかくして、柔らかくなったプラスチックを内側から押し出す。冷めると固まり、幅が広がる仕組みだ。世界的に有名な海外ブランドの靴は、足の幅が狭いデザインになっているものも多く、有名ブランドが好きで購入する日本人は狭いことを承知で買う。そのため、細かい修正が必要となるのだ。ちなみに、同店で靴を購入すると、遠赤外線の修理は1年間無料になる。

さらに、シーズン終了後の「チューンナップ」と呼ばれるソールのキズやエッジの調整などの作業の丁寧さが売りだ。常連客は新潟県糸魚川市や柏崎市、県外の富山県、長野県と範囲が広い。小島店長は「親の代からやっていたと思うが、お客様の立場に立って、用品を大事にすることを心掛けている。お客様も長く来られる方が多い」と話す。

「1年中スキーのことを考えているような人たちが沢山いて、私たちが支えられている。スキーが好きな方と一緒に歩いて行きたい」(小島店長)と話すように、中級者・上級者が集う「小島スポーツ」はいわば、スキーヤーの“駆け込み寺”と言える場所だった。

小島スポーツの店舗外観

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