エンゼルス広報のグレース・マクナミーさん 野茂さんはシャイだったけど大谷選手は?「そこは…ナイショです」

大谷(左)と歩くグレースさん

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=エンゼルス広報のグレース・マクナミーさん(4)】「グレースはうちの部署の『ロック(岩)』。彼女の仕事量は半端ないのに、誰もが寄りかかれる頼もしく揺るぎない存在」

エンゼルスのアダム・チョズコ広報部長は、グレース・マクナミーさん(日本名=森野由美子)について聞くと一瞬にして顔を輝かせてそう言った。

「オールスターに一緒に来てくれて本当に助かったよ。実は直前でうちの社長(ジョン・カーピーノ)が『グレースにも行ってほしい』と言ったんだ。日ごろ、頑張ってくれている彼女が行けることもうれしかったけど、あまりに目まぐるしすぎて彼女がいなかったらどうなっていたことか」

ホームランダービー中にグレースさんと「大谷翔平選手にプホルスからの電話がつながらなかったら、どうなっていたことか!」なんて笑い合ったが、そんな冗談が言える心地良い取材環境を与えてくれる彼らには心から感謝している。

野茂英雄さんが日本人大リーガーの先駆者なら、グレースさんは日本メディアをけん引する広報のパイオニアだ。

26年前、野茂さんの大リーグ移籍で常時30人以上の日本の報道陣がついて回ったその光景は、米国では間違いなく異様に映っただろう。現在では日本人大リーガーが当たり前になった時代の流れとともに、協力取材やコスト見直しなどで現地取材する日本メディアも減った。それでも米メディアの数に比べると、日本は一般紙とは別にスポーツ紙が数多く存在し、全国ネット、ローカルテレビ局なども取材に来るので、今でも常時12~15人はいる。大谷選手加入前のエンゼルスの常駐記者が3~4人といえば、違いが想像できるだろうか。

思い出話の一つで、グレースさんは野茂さん番の日本人記者から「クルマのタイヤがパンクしてしまったが、どこへ持っていけばいいか」と助けを求める電話がかかってきた話をしてくれた。取引先の偉い人にクルマの修理先を聞くようなものだが、この記者はおそらく、すごく戸惑いながら路肩にクルマを止め、地図を片手に近くの公衆電話まで必死に歩いて、取材に間に合わずに上司に怒られることを想像しながら、ドジャースの広報部に電話をかけたのだろう。

「頼っていただけて、私はすごくうれしかったですけども」とキュートに笑うグレースさんが、きっと当時もこんなふうにキュートな笑顔で一生懸命助けてくれたのだろうと想像した。

野茂さん時代と大谷選手時代で「違いは取材の仕方(ファクスからスマホへ)だけですよ」とグレースさん。

「取材に来てくれるメディアの方たちは、野茂さんが活躍してくれるのを望んでくれる方々ばかりで、今回も大谷選手がもっともっとよくなって、活躍してくれることを望んでいる方たちばかりっていうところは同じですね」

当時の話がもっと知りたくて「野茂さんはどんな方ですか?」と聞くと「そうですねぇ」と少し考えてから思い出し笑いをし「メディアに対しては結構シャイな方でしたけど、すごく面白くユーモラスで、他の選手とジョークを飛ばしていたり。あのころメキシカンのイスマエル・バルデス選手と仲が良かったんですけど、2人が何を話しているんだろうなってちょっと聞いたみたら、何のことはない。野茂さんは日本語で、バルデスさんはスペイン語で話しているんですね。私が聞き取れたスペイン語では全然会話が違うんだけれども、意思が通じ合ってるじゃない!って」

当然、大谷選手についても聞いたのだが、グレースさんは「そこは…ナイショです」と。この先何年もたってまたこうして語り合えたら、ぜひとも聞いてみたい。=この項終わり=

☆グレース・マクナミー 48歳。エンゼルスの広報マネジャー。ロサンゼルス生まれの日系アメリカ人で、1995年から野茂が移籍する99年までドジャース広報部に在籍。その後ゲーム会社などの広報を経て、大谷のエンゼルス加入で2018年、約20年ぶりに野球界復帰。

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