「金メダルかじり」の河村たかし市長が知らない〝アスリートの宝物〟の重みと価値

東京五輪の金メダル

【赤坂英一 赤ペン!!特別編】河村たかし名古屋市長の「メダルかじり事件」にはあきれるほかない。

東京五輪で優勝したソフトボール・後藤希友(20=トヨタ自動車)の表敬訪問を受けた4日、河村市長はマスクをはずして金メダルをガブリ。この行為に柔道・高藤直寿、スケート・小平奈緒、元競泳・北島康介氏、元フェンシング・太田雄貴氏など、新旧メダリストたちがSNSで一斉に猛批判の声を上げている。

アスリートにとって、メダルは人生で最も特別な宝物だ。それを私が実感したのは、2012年ロンドン五輪に出場した選手に、銅メダルを持たせてもらった時である。インタビュー後、写真撮影をする間、私は選手にメダルを預けられた。足元はむき出しのコンクリート、落として傷でもつけたら一大事だから、両手でメダルをささげ持つような格好のまま、カチカチに固まっていた。

私の様子がよほどおかしかったのか、銅メダリストは「原価はすっごい安いらしいですよ」と苦笑い。ロンドン五輪ではメダルの原価が発表されており、当時のレートで金4~5万円、銀2万円、銅は2桁下がって300~400円。が、私がメダルを戻すと、選手はこの世にひとつしかないメダルを、慈しむように見つめていたものだ。

東京大会で解説をしている元陸上・朝原宣治氏が語ってくれたメダルのエピソードも忘れ難い。

朝原氏の夫人は元アーティスティックスイミング選手・奥野史子で、朝原氏より早く1992年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得している。京都・鴨川の河原をデート中、朝原氏は夫人にメダルを首にかけてもらった。

この時、まだ五輪出場経験のなかった朝原氏は「自分も頑張らなきゃ」と一念発起。96年アトランタで五輪に初出場すると、08年北京五輪の400メートルリレーでついに悲願の銀メダルを獲得した。

04年アテネ五輪マラソン金メダリスト・野口みずきさんは、メダルを部屋に飾ったりせずジュエリーボックスにしまっていた。が、度重なるケガに苦しんだ現役時代の晩年、時々メダルを取り出して見ていたという。

「全然走れなかった時期には、私、アテネで金を取ったんだっけ? って、それすらも信じられないような状態でしたから。これ本当に自分が取ったのかなあ、と思いながらメダルを見てましたね」

金メダルの手触りは、現役生活の最後にもう一踏ん張りするよう、野口さんを促したのだろう。そういう力を持つメダルは、他人がみだりに手を触れるものではない。

☆あかさか・えいいち=1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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