快楽殺人者はなぜ解き放たれたのか|門田隆将 2019年に起きた茨城一家殺傷事件で、逮捕された岡庭由征容疑者。酒鬼薔薇聖斗と同様、サイコパスの兆候が明らかだったにも関わらず、なぜ、止めることができなかったのか。日本社会に潜む偽善と矛盾を暴く。

ネコの生首を教室に

「やっぱり殺ったのか」
「こうなると思っていた……」

2019年9月23日に発生した茨城県猿島郡境町の一家四人殺傷事件で逮捕された岡庭由征(26)について、マスコミからコメントを求められた私は、彼が過去に起こした事件の担当者たちがそんな感想を口にしたことが無性に悔しかった。

それは長い間、くり返されて来た「いつものこと」だからだ。私がコメントを求められたのは、やはり神戸の酒鬼薔薇聖斗事件などの少年事件を念頭に置いてのことだろう。性犯罪、快楽殺人、再犯確率など、多くのキーワードがそこには存在する。

だが、事件が「やっぱり起こったか」というものであり、これまでの多くの犠牲者の「死」がなにも生かされていないことに腹立ちというレベルを超えた激しい怒りがこみ上げてきたのである。

事件の全貌が明らかになるにつれ、酒鬼薔薇事件との共通点に多くの人が衝撃を受けた。子供の頃からやカエルを殺して遊ぶ岡庭。嬉々として身体を切り刻んでいく子供のようすを想像するだけで背筋が寒くなる。

岡庭は、高校時代にはネコの生首を教室に持ってきて大騒動になった。学校に呼び出された親は、それでも本人の「あれはオモチャだよ」という言い訳を信じて、何のアクションも起こさなかった。

裕福な土地持ちで地元の名士の家系に生まれた岡庭は、全面的に自分のことを信じてくれる親に甘やかされ、なに不自由なく生活していたのだ。

2011年、16歳の岡庭は、埼玉県三郷市の路上で中学3年の女子生徒のあごを刃物で刺した。2週間後、今度は千葉県松戸市の路上で小学2年の女児の腹部など数か所を刺す事件を起こして逮捕される。2件の殺傷事件を起こしていた酒鬼薔薇と同じだ。

愕然とした、岡庭の告白

公判で岡庭は、ニヤニヤして反省の態度を見せることはなかった。愕然としたのは、包丁に付着していた被害者の血を舐めて「自慰行為をした」との告白だった。

酒鬼薔薇と同様、性的サディズムが事件の原因であることが明らかになった瞬間である。動物を傷つけ、殺し、徐々にエスカレートして、性衝動と相俟って殺人事件に至る典型的事例だ。

動物虐待や殺人そのものに性的興奮を覚える快楽殺人者は、人間の心を持たないモンスターである。人間なら、誰しも殺される者の心の痛みを感じる。身体を切り刻まれる側の痛みを想像するのだ。

しかし、快楽殺人者は、他人の痛みを全く感じず、良心も存在しない。憐憫の情というものがないのである。冷情性の精神疾患であり、サイコパスだ。反省も後悔もなく、もちろん罪悪感さえ持たない。

こういう人間の再犯率が高いことは、さまざまな学術論文で指摘されている。では、新たな犠牲者が生じないように、日本ではなんらかの対策がとられているだろうか。

岡庭は結局、医療少年院(現在は「第三種少年院」に名称変更)送りになる。

家裁の決定は「治療教育的働きかけには相当の長期間を要する」というもので「五年程度の処遇」を勧告し、「23歳でなお精神に著しい問題がある場合、26歳を超えない期間で医療少年院への収容を継続することが検討されるべき」というものだった。つまり26歳までの「期間限定」の治療である。

偽善に蝕まれ、本末転倒の社会

だが、それで先天的なサイコパスが治るはずがない。しかし、収容期間は「区切られ」、快楽殺人者が「満期出所」したら、日本では再犯の危険性を社会で負担しなければならないのである。

岡庭は2018年に満期出所し、翌年には、当該の茨城の事件を起こした。たとえ担当医が「治療困難」と診断しても、現行法では規定以上の入院継続は許されないのだ。そこには「人権の壁」がある。

犠牲者の人権ではなく加害者の人権だけが叫ばれる倒錯した甘やかし社会は今も続いている。民法改正によって成人の年齢が20歳から18歳に引き下げられることに伴い、少年法改正が今国会でも焦点の一つになっている。

だが、18歳から19歳を「特定少年」と規定し、少年法の保護対象として継続する方針で議論されている。選挙権を行使しても、保護は「少年と同じ」というわけだ。

本当に犯罪者の人権を守りたいのなら、「犯罪者にならない権利」を守るべきではないのか。岡庭の場合も少年事件の際、取り調べや公判の過程で、自分が快楽殺人者である供述やシグナルを何度も発している。

これは「自分を殺人者にしないでくれ」という叫びではないのか。場合によっては生涯にわたって治療を受け、“治るまで”継続されれば、「犯罪者にならない」ことも可能だった筈である。

しかし、これを「社会に解き放ち、再犯させ、死刑台に送り出す」との信じがたい政策の日本――偽善に蝕まれ、本末転倒の社会であり続ける国家の姿がここにもある。

門田隆将

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