新天地での恩返しを誓う池田努

イメージ

俳優の舘ひろしが7月13日、都内で個人事務所「舘プロ」所属俳優・アーティストお披露目会を行った。

国民的スターの石原裕次郎さんが設立した「石原プロモーション」に長年所属していたが、今年1月に解散。4月に個人事務所「舘プロ」を立ち上げたが、石原プロからは、撮影のため欠席した増本尚、出席した池田努が〝移籍〟する形となった。

2人のうち池田は、2000年8月7日、「オロナミン『1億人の心をつかむ男』新人発掘オーディション~21世紀の石原裕次郎を探せ!~」で応募総数5万2005名の中から最終選考の10人に残った。

グランプリには選ばれなかったものの石原プロにスカウトされ、翌2001年にテレビ朝日系のドラマ「反乱のボヤージュ」でデビューを果たした。「グランプリを獲得したのは徳重聡だったが、演技力は池田の方が上と言われていた。あの1件がなかったら、もっと役者として活躍の場が広がっていたかもしれない」(テレビ局関係者)

2003年8月、同年10月より放映予定だった連続ドラマ「西部警察2003」の撮影中、池田が運転するスポーツカーがアクセルとハンドル操作の誤りによって駐車中の乗用車に衝突後、見物人の列に突っ込み5人が重軽傷を負った。

この件により当ドラマは製作・放映中止。また、すでに制作が終了し9月6日に放映予定であったスペシャルドラマ版「西部警察 WESTERN POLICE 2003」も放映無期延期となってしまった。

それから3年後の07年2月から1年間俳優修業のために芸能活動を休止して渡米。ニューヨークで演技のスキルを磨き、帰国後は地道に俳優業を続けていた。

発売中の「週刊文春」(文芸春秋)は池田のインタビューを掲載。昨年7月、石原プロの解散が決まり、自宅に引きこもって俳優業を続けるか悩んでいたところ、舘から電話が。

ホテルのレストランで食事をしながら、舘から「どこも行くところがなかったら、俺とやっていけばいい」と誘われ即答したのだとか。池田は「舘さんと熱い芝居を繰り広げられる存在になることが目標です」と最高の恩返しを誓っている。

© 株式会社ジェイプレス社