【山崎慎太郎コラム】「巨人はロッテより弱い」哲ちゃんの発言の真実

【無心の内角攻戦(9)】1989年の巨人との日本シリーズは近鉄がシーズンの勢いのままに3連勝。すぐに王手をかけてしまいました。3戦目までは巨人に確かに手応えがなく「あれ? 巨人ってこんなもんなのか」と思いました。西武、オリックスと三つどもえの死闘をやっていたシーズンの方がよほどしんどかったですから。敵地・東京ドームでの3戦目を3―0で巨人を零封し、これで「もういけるやろ。もう日本一やろ」となっちゃったんですねえ(笑い)。

勝利投手の加藤哲郎さんが「巨人はロッテより弱い」と発言したことが大きく報じられました。実際、哲ちゃんはそんな言い方してなくて、ヒーローインタビューで「大したことないですね」って。みんな思っていても言ったらあかんやろ、とは思った(笑い)。あとで「ロッテの方が強かった」と言ったことが報道では「巨人はロッテより弱い」と報じられたんですね。原辰徳さんも全然打たないし、子供のころから見ていた巨人が手応えがないんですよ。

その報道で向こうにスイッチが入ったのはあったでしょう。4戦目は0―5と相手投手の香田勲男さんに3安打完封と完全にやられてしまった。こっちは阿波野秀幸さんじゃなくて小野和義さんが先発でした。仰木彬監督にすれば中3日でエースで一気に決めに行きたかったでしょうけど、そこは権藤博投手コーチとの間で話があったと思います。3連勝したことで小野さんということになったのかも…。僕は2戦、6戦と決まっていました。その辺は勝負のあやだったのかもしれません。

3連勝で「もう優勝するやろ」と思っていたのが、香田さんにやられて「あれ」となった。イケイケから一戦一戦という気持ちに変わっていきましたね。5戦目も阿波野さんで1―6で完敗。7回には17打席無安打だった原辰徳さんに満塁本塁打されてしまいました。

完全にウチが後手になって流れが向こうに行ってしまった。3勝2敗で再び藤井寺に戻って28日の第6戦。先発した僕は巨人打線の2戦目との違いを感じていました。対応の仕方が違うというか、向こうはシーズンを終えてシリーズまでしっかり練習する時間があった。勢いのままのこっちと準備ができている相手の違いもあったと思います。阿波野さんで負けたことが痛かったし、僕も絶対的な存在ではない。2試合のうち1つ勝てば、というところで1―3と負けてしまった。完全に向こうが息を吹き返し、こっちが打てなくなった。勝たないといけないという中で受け身になり、きっちり野球をしようとしたのかもしれません。

3勝3敗…。流れは向こうですよね。3連勝して4連敗は避けたい。向こうはイキイキしているし、こっちは追い詰められて固まってきている。最初と立場逆転ですよ。第7戦の先発はあの“問題発言”の哲ちゃんです。今度は巨人の駒田徳広さんがやり返し…。

☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

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