西武レディース敗戦は「1番の挫折」 幾多の苦難を乗り越えた元西武右腕の復活劇

西武ライオンズ・レディースの新谷博監督【写真:川村虎大】

西武ライオンズ・レディースは東海NEXUSに2-7で敗戦、「あそこまで投手が崩れるとは」

最後まで険しい表情だった。11日に行われた全日本女子硬式野球選手権大会準々決勝。優勝候補として注目を浴びていた西武ライオンズ・レディースは、東海NEXUSに2-7で大敗。西武、日本ハムなどで通算54勝を挙げた新谷博監督にとって、この敗戦は人生でも大きな挫折だった。

まさかの敗戦だった。「野球の神様が『そんな甘いものではない』って言っているんでしょうね」と、悔しさを滲ませる。先発には、尚美学園大時代からの教え子、山田優理投手を送り込んだが、2回に2点を取られ、その後同点に追いつくも、6回に4本の安打を浴び、5点を失った。

「女子野球に長く携わっているけど、1番の挫折ですよ。まだどこか大丈夫って思っていたんでしょうね」

監督を兼任する尚美学園大が7月に高知で行われた全国大学女子硬式野球選手権で敗れ、2006年の創部以来初めて今大会の出場を逃した。西武ライオンズ・レディースのみを指揮することになったが、心の中に驕りがあった。「まさかあそこまで投手が崩れるとは思っていなかった。技術もメンタルも両方まだまだ。それを見誤った僕の責任」。勝てると信じていたが現実は厳しかった。

現役時代、西武、日本ハムで投手として活躍し、通算54勝を挙げた新谷監督。2006年に尚美学園大女子硬式野球部の監督に就任してから15年。日本代表の監督も務め、女子野球を引っ張ってきた。2020年から創部したライオンズ・レディースは、日本代表で主将を務めた出口彩香内野手や、ワールドカップ3大会連続MVPの里綾実投手らを筆頭に、錚々たるメンバーを集めた。「西武という名を背負っている以上、勝たなくてはいけない」と、厳しく指導してきた。

高校時は最下位番手から無安打無得点試合、大学時にイップスも克服し西武2位指名へ

その一方で、女子野球が発展し、自分の実力に対する不安もあった。「女子野球が発展していって、今後ウチのようなチームが出てくると思う。そうなると、NPBから指導に長けた方が参戦してきて、勝てないと『何が15年やってきた監督だ』とか言われてしまう。まさに今回の負けがそうでしたよね」。驕りとともに不安が現実のものとなった。

それでも、挫折を何度も乗り越えてきた男だ。中学時代に1度、野球を辞めバスケットボール部に所属。佐賀商に進学したが、当初は1番下からのスタートだった。「1年生は県内の強いチームから集まっていて、将来のレギュラーが確約されていた。僕は練習なんかさせてもらえず、補欠選手にノックをあげていた」。だが、猛練習の末、2年生で逆転し、エースの座を奪った。3年夏には、甲子園初戦の木造高(青森)戦で無安打無得点試合を達成し、一躍甲子園のスターになった。

ヤクルトからのドラフト2位指名を蹴って、駒大へ進学したが、挫折はまたしても訪れた。大学4年時に発症したイップスでNPBは指名を避けると、日本生命に進学。「自分の実力はそんなものではないと言い聞かせて練習を続けていました」。すると、ふとしたきっかけでイップスを克服。年月はかかったが、1991年に西武に2位指名され、プロの扉を開いた。

だからこそ、今回の挫折も新谷氏は次のステップへの課題だと思っている。「ジェットコースターみたいな人生ですから。またこのチームを1から立て直して、あっと驚かせて見せますよ」。女子野球は自分が引っ張ってきたという自負がある。幾多の困難を乗り越えた男は、監督としても再起を誓った。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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