共産党に逆らえば重体の娘に会わせない 中国弁護士の訪日阻止

重体の娘に会うため、訪日を希望している中国の人権派弁護士・唐吉田氏

 これも中国共産党に逆らった代償なのか。人権派弁護士、唐吉田(とう・きつでん)氏=(52)=は、日本で留学中に結核を患い意識不明の重体となっている25歳の一人娘、唐正琪(せいき)さんに会うため訪日を試みているが、当局は3カ月以上も出国を阻止している。その理由は「国家の安全と利益に害を及ぼす可能性があるため」だという。重体の娘を見舞うことがなぜ許されないのか。背景には強権的な統治システムがある。(共同通信=大熊雄一郎)

 ▽出国妨害

 「正琪、もう少し踏ん張ろう。乗り越えていこうな」

 7月下旬、北京市で、唐氏はスマートフォンを介して東京都内の病院で寝たきりとなっている正琪さんに語りかけた。まぶたや唇が動いたような気がして「声は届いている」と確信した。

娘の唐正琪さんの写真を手にする唐吉田氏

 正琪さんは日本のアニメが好きだ。2019年4月から東京の語学学校で日本語を学び、日本の大学への進学を準備していた。今年4月末に都内の病院に搬送され、結核菌が脳幹部に入り込むなどして意識不明の状態に陥った。

 6月2日、唐氏は福建省から成田行きの飛行機に搭乗しようとした際、出国審査で公安当局に連行された。当局者は「出入国管理法第12条第5項に基づき出国は認めない」と通告。第5項では、国家の安全と利益に害を及ぼす可能性がある場合は出国を禁じるとしている。

 唐氏は10年に弁護士資格を剥奪されて以降、出国を妨害され続けてきた。北京の公安当局に何度も人道的配慮を求めたが意味のある返答はない。「私がそばにいることが治療になるし、回復の可能性も高まるはずだ」。唐氏は衰弱していく娘に触れることもできず、焦りを募らせている。

 ▽遺体を犬に食わせる

 記者が唐氏と初めて会ったのは14年4月だった。拘禁者への暴力など人権侵害の疑いがある「闇監獄」問題に唐氏は取り組んでいた。闇監獄は、土地の強制収用などで政府に不満を持つ陳情者らを司法手続きによらず拘束する秘密施設で、国際人権団体も問題視していた。

 唐氏は同年3月、黒竜江省にある闇監獄の疑いが濃い施設に拘禁された市民らの釈放を要求するため、仲間の弁護士らと共に施設を訪問。警察署に連行され、2週間余り拘束された。釈放されて2日後に北京市内のコーヒーショップで取材に応じた唐氏は、自身が受けた壮絶な拷問について淡々と語った。

 連行された唐氏は、法的手続きを経ていない取り調べを拒否。すると警官らは激怒し、頭から黒い布をかぶせ、手錠と縄を使って天井からつるしたという。

 5、6人の警官が「協力しなければ穴を掘って埋めてやる」「おまえの遺体を犬に食わせる」とののしり全身を殴打。「(闇監獄の)洗脳班に送り込まれ、恐ろしさを味わいたいか」と脅迫した。

 釈放後、病院で「全身に多数の外傷があり、左右のあばら骨の多くが折れている」と診断された。体に残された傷痕や診断書を見せながら、唐氏は「権力が無制限に拡大している」と危機感を訴えた。

外傷を見せる唐吉田氏

 ▽収容問題に警鐘

 中国当局は新疆ウイグル自治区各地の「職業教育訓練センター」に多数のウイグル族らを収容している。欧米を中心に強制収容への懸念が高まっている。唐氏は10年以上前から警鐘を鳴らしていた。

中国新疆ウイグル自治区の「職業教育訓練センター」

 唐氏は教師や検察官を経て弁護士に転身。司法が権力に都合よく利用されている現状を看過できず、強制立ち退きの被害者や非合法化されている気功集団「法輪功」メンバー、政府非公認のキリスト教信者など弱い立場にある人々の弁護を請け負った。

 中国では官僚による腐敗や暴力、土地の強制収用といった問題を訴えようとする陳情者らが闇監獄などの秘密施設に拘禁される事例が後を絶たなかった。施設は各地の政府がホテルや精神科病院に設置しているとされ、「法制教育センター」「教育基地」といった看板を掲げることもあった。

 健全な法執行を理想とする唐氏にとっては言語道断の仕組みだった。だがこの問題を追及したことで、自身が秘密施設にたびたび収容されることになる。

 中国政府は09年ごろから唐氏を政治や司法制度の転覆を図る危険人物と認定。弁護士資格を剥奪し、党の重要会議の期間中や世界人権デーなどの節目に唐氏を拘束した。

 唐氏は「強制収容は新疆だけの問題ではない。『洗脳班』などと呼ばれる教育施設は全国的に存在していた」と語る。

 ▽危険人物のレッテル

 中国の法治は「党の指導」が大前提となっている。三権分立で権力の暴走を抑える民主主義国家の考え方と異なり、法律の厳格な執行により党・政府の方針に国民を従わせる側面が強い。香港への統制を強めるに当たり、「香港国家安全維持法」を導入して体制批判を取り締まる根拠としたのも「中国式法治」を体現したものだ。

習近平指導部

 「法は統治の手段ではなく弱者の救済に使われるべきだ」。唐氏の訴えは、法は誰のものなのかという素朴な問いを突き付ける。指導部にとっては「国家の安全を脅かす」危険思想だった。中国で国家の安全と党の支配体制維持はほぼ同義だ。

 「国家の安全を脅かす人物」とのレッテルを貼られ、社会的制裁を受けているのは唐氏だけではない。唐氏と似た考えを持つ人権派弁護士、江天勇氏や活動家、郭飛雄氏らも出国を妨害され、海外にいる病気の家族と会うことができない。

 当局は、唐氏に人道的配慮を示せば、指導部が築き上げた「国家の安全を守るシステム」にほころびが生じると考える。外部からは理解しにくいが、現行の政治体制の維持を追求した結果、唐氏が正琪さんに会えない状況が生まれている。

 ▽愛される中国

 唐氏は常識人のような顔をしてとっぴな行動に走る変わった人だった。誰かのために何かをやると決めれば当局の脅しも誘惑も全く意に介さない。それゆえに徹底的に衝突し、最終的には黒い布をかぶせられて謎の施設に連行され、連絡が取れなくなる。そのうち気がつけば姿を見せ、平然とビールを飲んでいる。

 それだけに、正琪さんの入院後にげっそりとやつれた唐氏を見るのは胸が痛んだ。「今まで受けたどの拷問よりもつらい」と力なく言った。

 福建省の空港で出国を阻止され、北京に戻った唐氏は鬱(うつ)のような状態になった。街中で葬儀用の商品がやたらと目につくようになり「最悪の事態が起きたら…」と考えては「ひどい父親だ」と自己嫌悪に陥って自分の頭を何度も殴った。

 「娘と物理的には離れているが、心は影響し合っているはずだ」。そう考え直し、食事や睡眠をしっかり取り精神を安定させるよう心がけている。「パパ、治療費のことごめんね。自分で払うから」。時折、娘の落ち着いた声が脳内に響く。「そんなことは考えなくていい。俺がなんとかするさ」と返事をする。

 最近はよくカササギの鳴き声が聞こえるようになった。中国でカササギは幸運をもたらすと信じられている。

 唐氏は一度も共産党に逆らったことはない。目指しているのは「一人一人がのびのびと生活し、自身の趣味や理想に従って人生を設計し、共存できる社会」だ。

 唐氏が出国を阻止された6月2日、党機関紙、人民日報には「愛される中国のイメージ」をつくるよう指示する習近平国家主席の演説が掲載された。唐氏は「国民に必要な支援を提供してこそ、好印象を与えることができる。(出国を認めることは)イメージを大幅に改善するチャンスでもあるはずだ」と訴えた。

唐吉田さんの長女、唐正琪さん

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