【北九州記念】「競馬はこんなに簡単なのか」と錯覚 腕利きが担当したダンディコマンド

格上挑戦で見事に初重賞をゲットしたダンディコマンド

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=1997年北九州記念】

1997年。この年は僕にとって転機の年でした。2年と少しを過ごした九州を離れ、この年の3月に美浦トレセンへ異動。秋からの栗東勤務は決まっていたのですが、当時の関西日刊紙には〝時計班〟という概念がありませんでした(苦笑)。開門直後でも馬場に背を向けている記者が、追い切りが最も良く見えるスタンドの最前列に座っていたほどです。

「動きなんか知るか、コメントがあれば問題ないだろ」。まあ、こんな感じでした。驚きますよね? もちろん、現在は違いますよ。誰もが有力馬の追い切りを凝視しています。

そんな状況もあり、会社側も「時計班としてのノウハウを学ぶなら美浦」と迷いのない選択。現在も活躍している渡辺薫記者、舘林勲記者と一緒に南のスタンドに座り、〝採時のイロハ〟を教わりました。言うなれば、1997年は競馬記者としてのベースができた年なんです。

東スポの競馬欄に詳しいオールドファンならご存じの方もいるのかな? 井馬宏さんという相馬眼に優れた大先輩がいたんですよね。返し馬を見ながら、色々と説明を受けたり…。懐かしいですね。いや、ホントに懐かしい。一応は舘林さんが僕の師匠ですけど、心の師匠は井馬さんです(笑)。

そんな先輩方の庇護を離れ、一人の時計班として初めてスタンドに座ったのが1997年、夏の小倉競馬でした。そして、ダンディコマンドが勝った北九州記念。僕がJRA担当の記者になって初めての重賞競走がこのレースでした。

当時の北九州記念は1800mの距離で行われていて、勝ち馬のほとんどはマイラー、ないしは中距離馬。しかしながら、ダンディコマンドはスピードの絶対値が違うと感じさせるような、マイラーかもしれないけど、スプリンターとしても大成できそうな、そんなイメージを持った馬でした。

スピードタイプのニホンピロウイナー産駒でしたし、1200mで行われている現在の北九州記念でも勝ち負けできたのでは? 実際、7か月ぶりの復帰戦に選択された雲仙特別は1200mのレース。この一戦を好位抜け出しであっさりとモノにして、連闘で北九州記念に挑んできたんですよね。

当時では1600万下、現在なら3勝クラスからの格上挑戦でしたけど、前走から手綱を取った武豊騎手が騎乗して1番人気。馬券的には全く旨みのないレースだったんですが、どうしてなのかな? まるで負ける気がしなかった。単勝を買ったのか、馬連だったのかも覚えてないですが、競馬はこんなに簡単なものなのかと…。それが大きな勘違いであることは長い競馬記者生活で十二分に理解していますが、このレースに関しては本当に簡単だった。本当にアッサリと逃げ切ってくれましたからね。

ちなみにダンディコマンドを担当していた西谷憲厩務員はすでにかなりの有名人。イクノディクタスにミスタートウジンなども手がけた腕利きと言えば、思い出すファンの方も少なくないかもしれませんね。夏の小倉で顕著な活躍を見せたトレセン関係者に対し、「小倉ターフ賞」なるものを贈って表彰するのが習わしとなっていますが、この賞を西谷厩務員は受賞しています。もちろん、騎手、調教師以外での受賞者は西谷厩務員が唯一でして、その受賞年度はダンディコマンドが北九州記念を勝った1997年。それくらいにインパクトのある復活劇だったということでしょうか。

故障が多く、古馬になって以降のレースで、まともに使えたのは小倉の2戦くらい。順調なら短距離重賞をいくつ勝ったのか、なんて言われもするんですけど、あれほどの名厩務員が担当されていたわけですから、これが同馬のマックスだったのかもしれませんね。

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