「いつ寝ていたか分からない」笑福亭仁鶴さんが吉本興業“中興の祖”と呼ばれるワケ

吉本興業の“大功労者”だった笑福亭仁鶴さん

骨髄異形成症候群のため17日に亡くなった落語家・笑福亭仁鶴さんは、吉本興業の〝中興の祖〟と言われている。

その理由について吉本は、「多数の所属タレントが劇場にとどまらずテレビやラジオなどさまざまな場所で活躍できる現在の弊社の礎を築いた」と最大級の賛辞を送っているが、在阪の民放関係者は「たしかに仁鶴さんは、吉本にとって最大の功労者と言っても過言ではない」と断言する。

と言うのも仁鶴さんが出てくる前、関西における芸能プロでは吉本より松竹芸能の方が上だった。「しかし仁鶴さんが超売れっ子となりテレビやラジオで活躍して莫大なギャラを稼ぐようになり、流れが変わった。おかげで吉本は松竹を追い越し、いまでは〝笑いの総合商社〟と呼ばれる、日本最大の芸能プロに成長したんです」(同)

仁鶴さんは1963年から吉本に所属すると、劇場で高座を務めながらテレビやラジオなど、数多くの番組に出演した。

「そのころの忙しさは、いまの売れっ子タレントの比ではない。劇場の出番の合間にテレビやラジオの放送局に出て、夜は深夜ラジオ。いつ寝ていたのか全く分からないほど」

1980年に巻き起こった漫才ブームにより、劇場、テレビ、ラジオを掛け持ちする吉本の芸人は、横山やすし・西川きよし、島田紳助・松本竜助、ザ・ぼんち、オール阪神・巨人など漫才師が中心となっていったが、その基礎を築いたのは仁鶴さんだったのは間違いない。

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