芥川賞作家の高橋三千綱さん死去 元東スポ記者で〝最後の無頼派〟素顔

高橋三千綱さん

芥川賞作家の高橋三千綱さんが肝硬変と食道がんのため、今月17日に死去した。73歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行われた。高橋さんは元東京スポーツ新聞社記者で在職中に群像新人文学賞を受賞し、文壇デビュー。退社後に芥川賞を受賞し、人気作家となった。本紙OBで長く交友があった元文化部長の阪本良氏が振り返った。

高橋三千綱さんが東京スポーツ新聞社に入社したのは1973年のことだった。当時25歳。特報部(現・文化部)に所属してレジャーや風俗、ギャンブルなどを担当していた。当時、入社2年目の文化部記者であった私とは席が近かったこともあり、仕事が終わるとよく新宿ゴールデン街に飲みに行ったものだった。

とにかく行動力があり企画力もあり、ユニークな視点の面白い記事が多かった。競馬にも詳しく「人相から分かるギャンブル運」など独自の視点での競馬に関する特集記事も書いていた。

インタビュー記事も得意で話題のタレントのインタビュー記事も数多くこなした。74年に来日した米人気ポルノ女優シャロン・ケリーに突撃インタビューして「股間を握られて悶絶」した爆笑エピソードもあった。

同年に「退屈しのぎ」で群像新人文学賞を受賞した時には、同僚はみな驚かされた。記者として飛び回っていたのに、そのかたわらに小説を書いていたとはまったく知らなかったからだ。父親である作家の高橋三郎氏の影響もあり作家を目指していたことはその時、初めて知った。

東スポを退社して文筆生活に入り、78年7月に「九月の空」で見事第79回芥川賞を受賞した。ジーンズにげた履きというラフな格好で受賞記者会見に現れて話題を呼んだ。受賞第1作が東スポに連載した競馬のエッセー「さすらいのにせギャンブラー」だったのも高橋さんらしかった。

「さすらい」とか「素浪人」といったキャッチフレーズが似合う〝自由な風〟を感じさせる新しいタイプの作家で、シリアスなものから時代小説、エッセーなど幅広いジャンルで多数の著作を残した。

2011年2月には「苦役列車」で第144回芥川賞を受賞した西村賢太氏と本紙で対談。初対面ながら2人は意気投合して、小説や文壇裏話などを大いに語り、「印税で風俗の3Pをやりたい」という西村氏の仰天〝3P宣言〟が飛び出し1面を飾ったのは記憶に新しい。対談終了後、2人は場所を変え、居酒屋で深夜まで酒を飲み、話が弾んだ。

夏の地方競馬やダービー、有馬記念など、本紙で「素浪人の◎」のタイトルで競馬の予想記事を担当して、予想だけでなく軽妙な競馬に関するエッセーで人気があった。

また、2008年4月からコラム「本日も楽天日和」を連載。韓国大統領の竹島上陸問題や尖閣列島の国有化をめぐる中国の反日運動の問題からカジノ開設論など幅広い分野で、「最後の無頼派」と呼ぶにふさわしい鋭い舌鋒をふるった。
近年は食道がんや胃がんなどとの闘病が続いていたが、最後まで文筆家魂を見せていた。

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