【パラヒーローズ】柔道・広瀬悠 ともに2大会連続代表の妻・順子といざメダル取り

広瀬(右)は順子夫人のコーチも務める(SMBC日興証券提供)

【R e start パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(39)】夫婦の絆で躍進だ! 視覚障がい者柔道男子90キロ級代表の広瀬悠(42=SMBC日興証券)は、二足のわらじを履いている。女子57キロ級代表で妻・順子(同)のコーチを務める傍ら、自身も選手として24日に開幕する東京大会に挑む。

「若い時に両親に迷惑をかけたし、親孝行のつもりで始めたのがきっかけだった」。高校時代にはインターハイに出場するほどの実力を兼ね備えていた悠だが、17歳で緑内障を発症。一時は「体を動かさなくなったらストレスがたまって、はけ口がない状態だったので家で暴れることもあった」とどん底を味わった。

そんな悠に転機が訪れたのは、25歳で入学した盲学校の担任からのひと言だった。家庭訪問の際、学生時代に獲得した柔道のメダルや賞状を見て「パラに出られるのでは」と背中を押してくれたのだ。父親の「(2008年)北京大会に応援に行きたい」との言葉もあり、視覚障がい者柔道をスタート。見事北京大会に出場し、5位入賞を果たした。

ただ、当時は競技に専念できる環境が整っておらず、12年ロンドン大会の切符は逃した。それでも、少しずつ環境が整備され、再び競技に専念できるようになった。そんな中、15年に結婚した妻・順子の存在が悠にとって大きな刺激となった。「頑固なので、何でもやり通すところは尊敬している。練習から強い相手にも逃げない意思はすごいと思うし、順子さんを見ていると僕もやっぱり練習をしないとダメだなと思える」とお互いを高め合ってきた。

16年リオ大会、今回の東京大会と2大会連続で夫婦で代表入りを決めたが、順子のコーチでもある悠は、さらなる高みを見据えている。「コーチの観点からは、順子さんに銅メダル以上を取らせてあげたいという思いで練習してきた。自分自身は1年延期になったことで、調整しにくかった部分もあるが、海外の選手も一緒なので逆にそれがチャンス。順子さんがメダルを取らない時は僕がメダルを取ろうかなと思っている」と気合は十分だ。

16年リオ大会で成し遂げられなかった夫婦でのメダル獲得へ、二人三脚で世界の強者たちをなぎ倒す。

☆ひろせ・はるか 1979年7月17日生まれ。愛媛県出身。友人の誘いで小学2年から柔道を始めると、高校時代にはインターハイに出場。17歳で発症した緑内障の影響で一度は柔道から離れるが、鍼灸師を目指して通い始めた盲学校の担任から勧められ、25歳から視覚障がい者柔道に転向。2008年北京大会では5位入賞を果たす。15年には同じ競技の選手である順子と結婚。16年リオ大会に続き、今回の東京大会でも夫婦での出場が内定している。173センチ、90キロ。

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