子どもが野球を辞めずに済むように… 横浜高元主将の取り組みに広がる賛同の輪

「日本未来スポーツ振興協会」代表理事の小川健太さん【写真:本人提供】

2008年の横浜高主将が「日本未来スポーツ振興協会」代表理事として活動

横浜高校野球部で主将を務め、現在は一般社団法人「日本未来スポーツ振興協会」の代表理事に就く小川健太さんが始めた取り組みは、プロ野球界にも広がっている。家庭環境を理由に野球を諦める子どもたちを1人でも減らそうとする活動で、小川さんのバックグラウンドや思い入れが色濃く反映されている。

現役を引退し、改めて野球との出会いに感謝する日々を送っていた。甲子園常連校の横浜で2008年に主将を務めた小川健太さん。当時、1学年下には現在米国でプレーする筒香嘉智(パイレーツ)がいた。高校卒業後は明治大学、九州三菱自動車で野球を続け、2015年にユニホームを脱いだ。そして、昨年6月に一般社団法人「日本未来スポーツ振興協会」を立ち上げた。

「死ぬときに胸を張って何かをやったと言うときに、損得ではなく、仕事ではなく、自分の生い立ちや背景から何かできないかと考えた。やっぱり自分は野球に救われたし、育てられた。野球で何かできないのかなと」

「日本未来スポーツ振興協会」で始めたのが、子どもたちへの野球用具の贈呈だ。「家庭環境で野球を諦める子どもたちを少しでも減らしたい」との思いでスタート。主にひとり親で経済的に恵まれなかったり、児童養護施設で過ごしたりする小学生に無償でグラブやバットを提供している。野球用具を手にした子どもたちの多くは最初、「もらってもいいの?」と戸惑った表情を見せるという。そして、「いいんだよ」と言われると走り出して喜ぶ。小川さんが苦労を忘れる瞬間だ。

かつて小川さんも、経済的な理由で野球を辞めようとしたことがあった。軟式から硬式へ移るとき、用具は買い替えが必要になる。しかし、女手ひとつで姉と自分を育てる母親に「買ってほしい」となかなか言い出せなかった。何とか手にしたグラブをずっと使い続けた。1年でグラブが新しくなるチームメートをうらやましく思う時期もあったが「技術があれば結果は出せる。用具にこだわらないのを美学にした」と力に変えた。

賛同の輪がプロ野球に広がり、西武が支援

母親にとっても、小川さんが野球をする姿が力の源だった。中学の時に日本代表に選ばれた小川さんのメキシコ遠征が決まると、「日の丸を背負ってプレーする姿は一生のうちで最後かもしれないから」と仕事を辞めた。2週間の遠征に同行し、息子の雄姿を目に焼き付けた。高校、大学で野球を続ければ、合宿や遠征などの費用がかかる。小川さんは母親の負担を減らすため、野球で結果を残して学費が免除となる奨学金制度を受けた。

歩んできた道は野球のエリート。だが、小川さんが野球を始めたのは意外なきっかけだった。「小学生の時に学校でいじめられて、逃げるように野球を始めた」。いじめは、ある日突然始まったという。クラスメートに無視されたり、机を隠されたりした。思い当たる原因はない。居場所を求めて、学校とは関わりのない地域の野球チームに入った。「ここなら安心できるという場所が見つかった。あの時、野球をしていなかったらどうなっていたのか」。野球に打ち込んで成果が出ると、不思議といじめがなくなった。

スマートフォンが普及する今、小川さんはいじめが陰湿になり、大人の目が届かないところで悩んでいる子どもたちもいるのではないかと感じている。自身の経験から「スポーツを始めるきっかけは逃げ道でもいいと思う。教室とは違う環境、コミュニティがある。野球で子どもたちを救えたらというのが大きな目標」と語る。

小川さんが活動を始めて約1年。共感や賛同は大きくなっている。西武は日本未来スポーツ振興協会にグラブを寄贈。勝利の方程式の一角を担う平井克典投手は昨シーズンから、登板数と同じ数のグラブを子どもたちに贈っている。また、期間限定で使わなくなった野球用具を寄贈してくれた人を対象に、山川穂高内野手や森友哉捕手、源田壮亮内野手らのサイン色紙をプレゼントしている。他の球団も取り組みに関心を示し、協力を名乗り出る企業も増えてきた。

「子どもたちが何かしたいと思った時に家庭環境を問わずに挑戦できる支援をしたい」と小川さん。その輪は確実に広がっている。(間淳 / Jun Aida)

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