ジェラード、ルーニー、スアレス…移籍を阻止された8名の大物選手

 トッテナム・ホットスパーは今夏、願いが叶いハリー・ケインの残留に成功した。もちろん、ケインはマンチェスター・シティ移籍を希望していたわけだが、プレミアリーグで選手の移籍が阻止されたのは今回が初めてではない。ここでは、退団を拒否された8人の大物選手を紹介する。

これをすれば移籍確実⁉ 退団望む選手が起こした5つの言動

パトリック・ヴィエラ
 2000-01シーズン終了後、アーセナルのレジェンドであるヴィエラはクラブを離れたいと主張。「私はアーセナルを去るつもりだし、完全に明確にしている」と宣言した。しかしクラブは2005年までヴィエラを留める事に成功。ユベントスに移籍するまでの間、クラブは最高の時期を過ごす事ができた。

スティーブン・ジェラード
 おそらく、プレミアリーグで実現しなかったもっとも有名な移籍だろう。リバプール一筋だったジェラードはプレミアリーグ優勝から遠のく一方のクラブに嫌気がさし、チェルシーが3200万ポンドのオファーを提示した際に忠誠心が試される。スタンフォード・ブリッジに訪れた際もチェルシーファンはジェラード到着を期待し、拍手を送るなど契約締結は時間の問題と思われた。しかしジェラードはリバプールに残留し、プレミアリーグでオンリーワン・クラブを貫いた。

ウェイン・ルーニー
 2010年、ルーニーはマンUを去ることを強く希望した。チームの野心を批判しただけでなく、サー・アレックス・ファーガソンと対立してしまったのだ。様々クラブが候補に挙がったが、最終的にマンUと5年契約を締結。クラブ歴代得点王となり、全ては忘れ去られた。

ルイス・スアレス
 悪名高いことで知られたアーセナルの4000万1ポンドのオファーは、2014年にスアレスとリバプールの解除条項を満たしたはずだった。しかしオーナーのジョン・W・ヘイリーの怒りを買い、かの有名な「エミレーツでは何を吸っているんだ?」をツイート。事の発端はスアレス退団を認める約束をブレンダン・ロジャース監督が反故にした事から始まり、アーセン・ヴェンゲルは「私たちは選手とその代理人と合意していた。しかし代理人は4000万ポンド以上のオファーがないと、リバプールはスアレスを手放さないと言っていた」と主張。「だから私たちは4000万1ポンドのオファーを提示した。確かに馬鹿げていると思われるかも知れない。しかしリバプールはスアレスを売らなかったんだ」と伝えている。

ルカ・モドリッチ
 2011年にチェルシーが4000万ポンドでモドリッチ獲得に乗り出した時、トッテナムのダニエル・レビー会長は頑なにオファーを固辞。モドリッチが「僕はチェルシーに行きたいと思っている。彼らはタイトル争いチャンピオンズリーグ制覇の野望を持っている」と公言していたが、結局実現せず。蟠りが生じ1年後にモドリッチはレアルに旅立ったものの、ルカはビッグクラブに移籍、トッテナムはロンドンのライバルに売却せずに済んだので、両者とも満足いく結果となった。

フランク・リベリ
 リベリは2009年にレアル移籍を熱望。「私は心を決めた。私はクラブを去りたい。おそらく、レアルか何もないだろう」と発言した。ただレアル移籍は幻に終わり、リベリはバイエルン・ミュンヘンでブンデス8回とチャンピオンズリーグ制覇を果たした。

ダニ・アウベス
 アウベスがセビージャでスターだった頃、多くのクラブがブラジル代表DFに求愛した。2007年に退団を希望したが、ファンデ・ラモス監督は3000万ポンドの移籍は問題外と発言。ただラモス監督が退任した途端にアウベスに運が舞い降り、バルセロナに向けて荷物をまとめる事となった。

ラファエル・ファン・デル・ファールト
 ハンブルガーSVからバレンシアに移籍できると確信していたファン・デル・ファールトは、シャツを掲げた写真を公開。ヨーロッパのカップ戦出場を避けるため、1歳の息子と庭で遊んでいてケガをしてしまったと伝えていた。しかしハンブルガーは移籍を認めず、チームに戻ってくるよう指示。その後ファン・デル・ファールトはもう1シーズンプレーして、大金を投じてレアルに移籍していった。

クラブに移籍を阻止された大物選手たちPhoto Getty Images Sport

編集部 中田

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