悲願達成の小林可夢偉が語る感謝と、葛藤の最終スティント。芽生えた一貴への“リスペクト”/ル・マン24時間

 トヨタGR010ハイブリッドを駆り、悲願のル・マン24時間レース優勝を遂げてから5日。トヨタGAZOO Racingの小林可夢偉は「当日より2日目、2日目よりも3日目」と、日に日にル・マンを制した実感が増しているという。

 幾多の困難を越えてチェッカーを受けたとき、その心には何がよぎったのか。燃料系統のトラブルにはどう対応したのか。そんな悲願の初優勝の舞台裏を、日本メディア向けのリモート会見で聞くことができた。

■自分が行かないと「応援してくれる人に申し訳ない」

 まず、優勝を遂げた瞬間の気分を問われた可夢偉は、多くの『感謝』を口にした。

「ゴールした時に、一番に僕の心に出てきたのは、僕がここで走れていること、勝てたことへ心からの感謝しかないな、ということ。まずはトヨタ、そのパートナー、サポートしてくれているたくさんのサプライヤー、そういう人たちの力があって、やっと僕らがレースできています」

「自分が嬉しいとかいうよりも、まずはそうやって応援してくれている人、関わってくれている人、サポートしてくれている人に『ありがとうございました』って言いたいというのが、ゴールした瞬間に出てきた感情です」

 ここに至るまで、可夢偉は何度もル・マンで悔しい思いを味わってきた。

「僕ら自身も、僕らは勝てないんじゃないか、レースでは何か起こるんじゃないかってネガティブに捉えてしまう時期もありましたが、それでもやりつづけ、自分たちを、仲間をしっかり信じて、チームとして強くなるためにはどうしたらいいのかっていうのを一生懸命やってきたことが、今回の結果につながったと思います」

 7号車の最終スティントは可夢偉が担当した。パルクフェルメでのTVインタビューでも、最終スティントのドライブには行きたくない気持ちがあったことを明らかにしていた可夢偉。ただでさえ責任重大な最終スティント、さらに今回は燃料系トラブルがあったことで、ドライバーには『特別な操作』も求められていた(後述)。それを間違えることなく、完遂しなければいけない。

 そんな可夢偉の背中を押したのは「応援してくれた人の声」だったという。

可夢偉が手にするスマートフォンには、決勝中も多くのメッセージが届いていた

「最後のスティントに行くのは嫌だなと心の中では思ったんですが、レース前もレース中も、豊田章男社長や佐藤(恒治・GAZOO Racingカンパニー)プレジデントも含め、たくさんのメッセージをいただいて。特別な操作をしなきゃいけない、それがちゃんとできるのかという不安はあったけど、それも含めて自分が最後までゴールに持っていかないと、応援してくれている人に申し訳ないなって」

「チームも気を利かせてくれて、『ホセ(・マリア・ロペス)に行かせてもいいよ』って言ってくれてたんですけど、そこは自分から『やっぱり行く』と言って、最後の1時間と少し、ゴールまで走りました。たくさんのメッセージが、最後には本当に力になったと思っています。本当に感謝しかない、というのが一番です」

 最後はトヨタ2台のランデブー走行により、8号車の中嶋一貴と並んでチェッカーを受けた可夢偉。昨年まで3連覇を達成し、今年は可夢偉の優勝を祝福した一貴についての想いを訊かれると、可夢偉は実感を込めて次のように表現した。

「正直に言うと、最後(最終スティント)は一貴にすごいリスペクトがありました。一貴は毎年のように、ル・マンの最後を走っているんですけど、『すげぇなぁ』と思って。あのプレッシャーに、毎年勝ってるんだな、と」

「僕、プレッシャーとか気にしないタイプなんですけど、あれを当たり前のようにやれるのは個人的にはすごいと思う。ル・マンの最後って、もう勝ち負けというよりは、最後の最後でミスをしない、しっかり仕事をやり切るっていう瞬間なんですけど、やっぱり不安要素しかないんですよ。その不安要素のなか、淡々とあれを毎年やるっていうのは、並大抵の精神じゃない」

「僕、(来年は)『もう去年やったから、やってくれよ』って言いたくなると思う。最終スティントをやって分かる“一貴のすごさ”というのが、最後は自分のなかに芽生えましたね」

■メディカルセンターに運ばれたエンジニアの“情熱”

8号車の中嶋一貴と並んでチェッカーを受ける7号車の小林可夢偉

 時系列は前後するが、8号車に先に起きた燃料系統のトラブルが7号車にも生じ始めたときは、可夢偉がステアリングを握っていた。「8号車にその傾向があるというのは聞いていたので、心の準備はしていました」と可夢偉は振り返る。

「ただ、思ったよりも早くそれがきてしまったなと。ただ、8号車の方が後ろを走っていたことと、彼らの方が状況がクリティカルだったということで、まずは8号車で延命措置を試してくれ、それが使えそうだから7号車でも、とやってくれたんです」

「僕は無線で(その対処法を)理解できてはいたんですけど、ここで中途半端な聞き間違いで伝わらなかったらいけない、そのリスクを背負うところではないということで、ホセがやり方をマスターしてから乗り込む、といういい判断をしてくれました」

 また、その対処法を編み出した過程について、「僕、これだけは伝えたいというのがあるんです」と可夢偉は秘話を明かしてくれた。

「今回、この燃料系の問題の延命措置を見つけてくれたふたり(のエンジニア)がいるんですけども、そのうちひとりがじつは夜中に血圧が上がって、いったんメディカルセンターに運ばれているんです」

「4時間くらい休んで戻ってきたら、今度は燃料ポンプのトラブルだっていうので、体調が悪いなかでも一生懸命、解決策を見つけてくれて。そのおかげで、2台ともガレージに入ることなく、完走につながった。本当にチームのひとりひとりが、何が何でもゴールに持っていくんだという気持ちがあることがありがたいし、すごい情熱のあるチームなんです」

「もちろん“ワークス”ではあるんですけど、やっぱり人間がやっているものなので、そういう情熱はすごく大事だと思うんですよ。そういう人たちが裏にいたっていうのは忘れられないことだし、そのおかげでゴールできたことに感謝したいです」

2021年のル・マン24時間レースを制したトヨタGAZOO Racingの7号車GR010ハイブリッド(マイク・コンウェイ/小林可夢偉/ホセ・マリア・ロペス)

 シーズンは残り2レース、可夢偉としてはもちろん「しっかり勝って、7号車として2年連続のタイトルを取ることが僕らの目標」と語る。

 そのさらに先の目標設定については、「すごく難しい。ちょっと時間をかけながら、やっていっています」と可夢偉。

「一度勝って終わりではなく、挑戦し続けて、まだまだル・マンで何か歴史を刻めたらいいなと思うし、あと1回でジャッキー・イクスさんのポールポジション記録に並ぶので、そこもチャレンジしたいなと個人的には思っています」

 コロナ禍の渡航制限/隔離措置によりフル参戦ができていない全日本スーパーフォーミュラ選手権についても、「来年も出られる限りは、やりたい」と意欲を見せる。そしてもうひとつ、さらなる未来を見据えた発言も飛び出した。

「富士のスーパー耐久で水素カー(ORC ROOKIE Corolla H2 concept)に乗らせていただいたんですけど、僕は水素の車に対してすごい可能性を感じていて。もっといろんな人に水素が理解されて、もっと発展できるようにやっていきたい」

「いつかは僕は、水素でル・マン24時間を走るような時代になればいいと思っているし、あわよくば僕がなんとか乗れる年齢で、一回でもそんなクルマ(をル・マンで)で乗ってみたいなっていうのが本音です」

■燃料タンクの解体・検証はこれから

 なお、同日に行なわれた村田久武チーム代表のリモート会見では、燃料系のトラブルの詳細も一部明らかになっている。

 GR010がドイツ・ケルンのTGR-Eに戻るのを見届けてからすぐ帰国したという村田代表は、「まだガスバッグの中を開けて見ることができたわけではないので」と前置きし、現時点で判明している事象とそこから推測できることについて、以下のように述べている。

「燃料ポンプは動いていて、おそらくはその入り口であるフィルターが詰まっているだろうと想像している、というところです」

「横Gがかかると燃料が片寄るので燃料タンクの中には何個か燃料ポンプがある。それらによってコレクター(タンク)に燃料を入れ、そこからまた吸っています。それらのポンプの吸い口に付いている、フィルターが詰まっているのではないか、ということです」

 また、エンジニア陣が導き出した“解決法”により、ドライバーに求められた『特別な操作』については、村田氏は次のように説明した。

「まだこちらも正確なレポートが上がってきているわけではありませんが、(ドライバーが)やったのは燃料ポンプのオン・オフ、ブレーキの踏み方(を変える)、あとはコーナーのなかでも、それぞれのコーナーに合わせていろいろなことやりました。燃圧の落ち方がひどくなっていったので、その状況に応じて新たな手を追加していった、というのが総論です」と述べている。

 この“解決法”を見出した過程など、村田代表の会見内容については、改めて別の記事でもお伝えする予定だ。

ドイツ・ケルンのTGR-Eへと凱旋したル・マン優勝車両、7号車GR010ハイブリッド

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