「プロで活躍する」「モノが違う」 大阪桐蔭OBが高校時代に確信した2人の選手

2005年夏の甲子園で1試合3本塁打を記録した大阪桐蔭・平田良介(現中日)【写真:共同通信社】

スター性に溢れていた平田「とにかくいい場面で打つ」

プロになる選手は高校時代から異彩を放つことが多い。大阪桐蔭で中日・平田良介外野手らと中軸を担った謝敷正吾(しゃしき・しょうご)さんは、同僚たちがプロに進んでも、活躍すると確信していた。その理由は、打撃力だけではない、スター性や思考力を目の当たりにしたからだった。

不動産会社「オープンハウス」に勤務する謝敷正吾さんは、大阪桐蔭で2005、06年夏の甲子園に出場した。楽天・田中将大投手や、巨人・坂本勇人内野手らと同じ1988年生まれ。大阪桐蔭では平田が1つ上の学年で、巨人の中田翔内野手が1学年後輩にいた。

謝敷さんは2年時から名門・大阪桐蔭の上位打線に名を連ねた。甲子園出場と、その先にあるプロ野球選手を目指して日々練習する中で、初めて「プロの資質」を感じたのが平田を見た時だった。本塁打を量産するパワーや身体能力など、打者としてのレベルの高さ以上に「スター性」が溢れていた。

「とにかく、いい場面で打つ。外野の守備でも勝負所で走者を刺す。勝敗を分けるところでパフォーマンスを発揮できる平田さんみたいな選手が、プロで活躍するんだろうなと思った」。

謝敷さんが特に忘れられないのは、2年生だった2005年夏の大阪大会準々決勝。相手は2年生エースの前田健太投手(現ツインズ)擁するPL学園だった。5回まで無得点に封じられていた大阪桐蔭は6回、1死二塁のチャンスをつくった。打席に入った平田は1ボールからの2球目を左中間スタンドに運び、試合をひっくり返した。謝敷さんは「あそこで本塁打が出るのかという場面だった。これで甲子園に行けると思った」と振り返る。

大阪桐蔭で2度甲子園に出場した謝敷正吾さん【写真:編集部】

東北との準々決勝で1試合3発の大会タイ記録を樹立

PL学園に勝利した大阪桐蔭はそのまま大阪大会を制して甲子園に出場した。東北(宮城)との準々決勝。平田は神がかっていた。1打席目で先制ソロを放つと、4回に2打席連続のソロ。7回に逆転2ランを放ち、チームをベスト4に導いた。1試合3本塁打は大会タイ記録だった。この日の朝、平田は宿舎で謝敷さんに、こう話していたという。「きょうは、できる気すんねんな」。謝敷さんは当時、「独特な人。大事な試合前に何を言っているんだろう」と思っていた。ところが、平田は予感通りに3度もアーチを描いた。

謝敷さんが「プロに行く」と確信したもう1人の選手が、1年後輩の中田だった。「モノが違う。全く歯が立たなかった」。プロで活躍する中田の姿を見れば想像できるが、スイングする力の強さは入学当初から別格だった。

平田も中田も高校時代、豪快なスイングで本塁打を量産した。だが、謝敷さんの記憶に残っているのは、走塁や配球への意識。センター前への安打で二塁を狙う。バッテリーの集中力が切れる場面でディレードスチールを仕掛ける。

「次の塁を奪えるのは足の速さではなく、常に先を狙っているかどうかの違いだと知った。3ボールからスイングするのは4番だからではなく、打てる確率が高いからという感覚も自分にはなかった」。恵まれた体格や天性の長打力だけに頼らなかったからこそ、平田らはプロで成績を収めているのだろう。

【第1回】大阪桐蔭で強力打線を形成し2度の甲子園 謝敷正吾さんが社会人で味わった挫折と現在地
【第2回】V候補横浜を撃破した15年前の夏 駄目押し3ランの大阪桐蔭主砲が衝撃を受けた打球(間淳 / Jun Aida)

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