がんと闘いながら車いすバスケに励む青年 鳥海先輩に勇気もらった

小川さん(右)が左脚を手術した約4カ月後、入院先へ突然お見舞いに訪れた鳥海=2018年10月、長崎市内

 東京パラリンピック車いすバスケットボール男子の主力として、28日のカナダ戦も勝利に貢献した鳥海連志(22)=パラ神奈川SC、長崎市出身=。そんな日本の若きエースから勇気をもらい、車いすバスケットに汗を流す青年がいる。骨肉腫のため、3年前に左膝下を切断した小川祥汰さん(21)=長崎県西彼長与町=。大舞台で躍動する地元の先輩を見て「すごすぎて雲の上の存在。でも、いつか僕も、あの舞台で一緒に戦いたい」と夢を抱く。
 小川さんは県立長崎北陽台高3年春までの約8年間、バスケットに熱中していた。西彼長与町立長与南小、長与二中時代は主将を務め、高校でも1年から主力として活躍。チームの得点源となる身長178センチの3点シューターだった。
 まさかの宣告を受けたのは、高校最後の県高総体を2カ月後に控えた2018年4月だった。違和感があった左膝を医者に診てもらうと「骨肉腫」と診断された。初めて「死」を身近に感じた。親を悲しませたくなくて気丈に振る舞ったが、病室で1人になると、怖くてずっと泣いていた。
 それでも、自分の代の県高総体だけは、みんなと一緒にいたかった。「できることをやろう」と外出許可をもらってチームのサポートに回った。仲間の最後の戦いを見届けた後、左膝下を切断。「何よりも命が一番大事なんだから」。現実を懸命に受け入れた。
■ 突然のお見舞い
 「元気になったら、車いすバスケに挑戦したい」。術後4カ月がたち、新たな目標を胸に抗がん剤治療や義足のリハビリに励んでいたころ。突然、鳥海が病院にお見舞いに来てくれた。縁がつながり、互いの母親同士が連絡し合って実現したサプライズだった。
 16年リオデジャネイロ・パラに出場した2学年上の先輩で、車いすバスケット界のスター選手は、いろんな話をしてくれた。「すごく落ち着いていて、2歳違いと思えないくらい大人っぽかった」。世界の体験談は心に響き、憧れた。
 それから約1カ月後、外泊許可をもらって、北九州市で開かれた国際大会を見に行った。日本代表の試合を初めて生で見て「闘争心むき出しで格好良かった。迫力が違った」。中でも鳥海のスピードは「どうなっているんだろう」と驚かされた。パラスポーツのイメージが変わった。
■ みんなの分まで
 19年に退院後も、骨肉腫を起因とするがんは繰り返し肺に転移。現在も治療は続いている。そんな状態ではあるが、本格的に車いすバスケットへの挑戦も始め、クラブチームの長崎サンライズで奮闘している。治療がうまくいかず、練習に行く気力がなくなった時期もあったが、自宅にいると体を動かしたくなった。やっぱり「バスケが大好き」だ。「まずはU23日本代表に呼ばれたい」と得意のシュートを磨いている。
 この3年間で、同じ骨肉腫と闘ってきた同世代の友人たちが命を落とした。「みんなの分まで僕が頑張らないと」と思う。片脚を失ってできなくなったこともあるけれど、自分にしかできないことも増えた。
 「病気を乗り越えて元気にスポーツをする姿を見てもらいたい。同じ病気の人たちはもちろん、誰かの希望になれたらいいな」
 鳥海をはじめ、障害を乗り越えて躍動するパラアスリートを見て、その決意はより強くなった。


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