ナギサワカリン - どんなに土に還りたくなっても、わたしはまたヒカリを探してしまう

詩を書くと、感情をうまく吐き出せる

──Rooftop初登場ありがとうございます。

ナギサワ:うわ〜〜〜〜〜〜!!!! イエーーーーーイ!!!!(拍手をしながら)

──こんなに明るい初インタビューは初めてです(笑)。

ナギサワ:静かにできないんだよなぁ〜。よろしくお願いします!

──普段もライブやSNSでの雰囲気そのままなんですね! いま現場の温度が一気にあがった感じがします。ナギサワさんの活動のきっかけはなんだったんですか?

ナギサワ:ナギサワカリンとして活動をしたのは2018年からなんですけど、ライブ自体は2017年からやっていました。最初はナギサワカリン名義ではなくて、ひらがなで"なぎさ"っていう名前で大分でカバーライブをしていたんです。カバーを続けているうちに、「いい加減にオリジナル曲を作ったほうがいいよ」ってまわりから言われて、それで作ったのが「Hear me」でした。当時は大学の先輩に頼んでギターを弾いてもらっていました。

──今は弾き語りもされていますが、当初は純粋に唄うだけだったんですね。

ナギサワ:そうなんです、わたしは歌のみでした。でもやっぱりユニットでやりたくなって、ギターの相方を探して結成したのがDUTCH BABY'S。そこから東京に拠点をうつしました。

──なぜご自身でもギターを始めたんですか?

ナギサワ:実は半ばイヤイヤだったんですよ(笑)。「ただ歌うだけじゃ生きていけないよ」と言われてはいたんですけど、わたしは歌に自信があったし、唄うだけでライブをしている人は少なかったなか活動を続けてきたし、歌でいけるって思っていたから。だけど、東京に来たら歌がうまい人なんてたくさんいて、これは自分でギターを弾いて、自分である程度は曲も作れないと戦っていけないなって思ったんです。自分のことを知ってもらうきっかけを増やしたかったんだろうな。それで、すぐに友達と御茶ノ水に行って、一目惚れをして買ったのが今も弾いているギターです。

──ギターは独学ですか?

ナギサワ:完全独学です! スコア見放題のサイト「U-フレット」さんにはいつもお世話になっております(笑)。そこでコードを見ながら、こういう曲はこういうコード進行が多いんだなって分析したり、共演者さんや当時の相方や大学の軽音サークルの先輩に教えてもらって学びました。

──ほんとうは歌を唄いたいだけなのに、楽器をやるっていうハードルは高くなかったですか。

ナギサワ:そこはすごく大変でしたね…。「Hear me」も当時の相方にギターを弾いてもらって、わたしが即興で唄ってできた曲なんですよ。あ、そう思うと「ヒカリ」もそうだし、その場で合わせながら曲ができることが多いです。

──セッションから生まれる作品! ジャズみたいですね。

ナギサワ:あはは(笑)! 確かにそうかも、このまえLOFT9で自主企画をさせてもらったときも、その場で弾いてもらったギターにあわせて唄いました。音楽については独学なので、鳴らしてもらったコードに合う音程がわかっていない部分がありつつも、最近は少しずつだけど掴めてきた気がします。でも同じ曲進行パターンになっちゃうときがあって、新曲のコードも今すごく悩んでいます。

──歌だけをやられていたときと、自分で作った曲をやるようになった今ではライブをする気持ちは違いますか?

ナギサワ:全然ちがいます。やっぱり自分で作った曲って嬉しいんですよ。うちの子が愛おしくてしょうがない、みたいな(笑)。お客さんも、「あなたひとりでも全然ライブができるじゃん」って言ってくれたのがすごく嬉しかった。迷っていた時期だったから、「いい曲を書くんだね」って言われたのは救いでした。

──聴いている者に力強く手を伸ばしてくれるような詩を書かれますが、それまでは詩は書かれていなかったんですか?

ナギサワ:活動をする以前は詩を書いたことはなかったです。書くようになってから、そこに感情をうまく吐き出せるようになった気がします。最初はネガティブな言葉だったり、相手を咎めてしまう言葉が多かったんです…。だけど、活動を重ねていろんなジャンルの曲を聴くようになったし、対バンで一緒になった人の曲を聴いたりするなかで、「こんな表現の仕方もあるんだ!」って勉強になりました。歌詞のストック自体は150くらいあるんですけど、それを掘り返して曲にしていくので2018年に書いた言葉を今使ったりもしています。

──過去と今を組み合わせて新しい楽曲を作っていくんですね。ナギサワさんの楽曲は「自分に正直」という印象があるんですけど、それがポイントなのかなと感じました。歌詞を書くときに影響を受けた方はいますか?

ナギサワ:大森靖子さんには特にインスパイアを受けました。本人も言語の魔術師とおっしゃってるように、言葉にならない表現を言葉化できる人だなって思います。いつも納得のいく表現をしてくれて、「そうだよね」って思えます。

──音楽の部分ではどうですか?

ナギサワ:もともとジャズやロックが好きで、かたっぱしから聴いていました。よく聴いていたのはYUIさんやアヴリル・ラヴィーンさんです。シンガーソングライターだけどちゃんとロックをしている人が好きなんです。YUIさんのアルバムは小学校6年生のときに借りまくって、全部聴いています!アヴリル・ラヴィーンさんは『ガールフレンド』のジャケットがピンクと白と黒とガイコツですごくかわいくて、ビジュアル的にも刺激を受けました。当時からずっと聴いています。

眉村さんとは音楽で会いたかった

──「ロフトプレゼン大会」で初めてナギサワさんの生ライブを見たんですけど、「すごく声が出る人がいる!」ってとにかく驚きました。人の体からこんなに声が出るんだ、と。声を聴いているだけで場の雰囲気が変わるというか。

ナギサワ:うれしい〜!!!! わたしが歌手になりたいと思ったきっかけって絢香さんなんですよ。絢香さんはウワ〜っと全身で歌う方だし、そのあとに聴いていたのはSuperflyさん。ディーバみたいにウワ〜って歌う人が好きなんです。母がビヨンセが好きなので、ビヨンセを聴いて育ったのも影響しているかもしれないです(笑)。わたしは、ミュージカル映画の『ドリームガールズ』が好きなんですけど、そこに出てくるジェニファー・ハドソンの声量には驚いて、そこからもインスパイアを受けました。大森さんも魂で歌い上げる方ですし、歌で納得させられる人にすごく憧れています。

──ナギサワさんも、声の力で場を制御して聴き入らせることができる歌声の持ち主だと思います。初見の日はほんとうにびっくりして、家に帰ってからもナギサワさんのYouTubeを見返しましたから。

ナギサワ:ありがとうございます! ウチは家系的に声がでかいっていうのもあるんですけど、歌うようになってからはのどを痛めないように発声方法も意識するようになりました。

──代表曲の「ヒカリ」は、MVとIMALAB×新宿LOFTのライブの両方がYouTubeで観られますが、ライブになると声の迫力も格段に強くなっていますよね。

ナギサワ:あのライブはバンド編成だからっていうのもあるかもしれないですけど、最近はライブの空気が変わったって言ってもらえることが多くてうれしいです。

──「ロフトプレゼン大会」ではロフト全店舗ツアーを実現すべく「これにかけています!」と発言されていました。誰もが、自分の必死な姿を人前でちゃんと出せるわけではないと思うのでとてもかっこよかったです。

ナギサワ:これしか生きる方法がないって思っているんです。バイトもある程度はできるし、…遅刻しちゃったりとかはあるけど(笑)、それなりにやれるんですけどわたしにはこれしかなくて。ステージで誰かが歌っているのを見ると、すごいって思うよりも悔しいって思っちゃうんですよ。それって、実は活動をする前からずっとなんです。わたしのほうが絶対にできるってジト目で見ちゃう。それなら活動しなきゃ! って。それを親に言ったら、「大学を卒業してからにして」って言われちゃったので、隠れて活動をするために最初は「なぎさ」っていう名前だったんです。

──「なぎさ」時代はご両親にはバレずに?

ナギサワ:バレましたね(笑)! 結果、大学を半年留年しちゃったんですよ。それもあって母に、「就活はしません、ごめんなさい」って話しをしました。わたしはこれ以外で生きていけないから。「じゃあ自分で全部がんばりなさい」って言われました。ライブ映像のツイキャスを親に送ったりするんですけど、あんまり見てくれてないんですよね。コロナ禍だからライブ現場にも招待できないし。だから、Zepp Hanedaなら広いし大丈夫だろうって思ってます。

──その想いもふくめて大きな会場を目指していたんですね。

ナギサワ:実は、母も眉村ちあきさんがすごく好きなんですよ。眉村さんの「おばあちゃんはサイドスロー」っていう曲のMVがあって、完璧にマイケルジャクソンのオマージュをしている映像なんですけど、それを母に教えたら、「この人おもしろい〜!」ってはしゃいでいて。「わたしのときにもその反応してよ」って思わず嫉妬してしました(笑)。それで余計に悔しかったのかな。だから、眉村さんとツーマンライブをするときは絶対に家族を呼びたいっていう意図もありました。家族に認めてもらいたいっていう気持ちがずっとあるんです。

──ナギサワさんのTwitterの固定ツイートにも動画が貼られていますが、眉村さんとはどういったいきさつでZepp Hanedaライブをやることになったんですか?

ナギサワ:眉村さんがむかし「下北沢ろくでもない夜」っていうライブハウスで活動をしていたってことを聞いて、店長の原口さんに眉村さんが好きなことを前々から伝えていたんです。だけど、「お前には会うのはまだ早い、今のままじゃ追いつけないよ」って言われて、わたしはどうしても眉村さんと一緒にライブがしたいから、自分なりにがむしゃらにガンダッシュをしてきたんです。そして、原口さんの誕生日ライブを見に行ったら、横でぴょんぴょん飛びながらはしゃいでいる人がいてよく見たら眉村さんだったんですよ!でも、むやみに話しかけるとファンみたいになっちゃうし、ここで会いたくなかったって思っていました。やっぱり、音楽で会いたかったんですよね。対バンをするとか大きいフェスとかで共演をして、「やっと会えました」って伝えたかった。けど、原口さんは私が音楽で眉村さんに会いたかったことなんて知らないまま、私に眉村さんを紹介してくださって。偶然会っちゃったことがめっちゃ悔しかった。だから本人に、「本当は音楽でちゃんと会いたかった」って伝えたら、眉村さんはすごく真面目に「えらいねぇ…」って聞いてくれたんです。わたしの悔しさも知らずに(笑)。そしたらいきなり眉村さんから「じゃあさ、来年の6月にZepp Hanedaでわたしとツーマンしよ」って言ってくださったんですよ!!!!!!!

──そんなドラマチックな展開だったんですね! そのときはどんな気持ちでしたか?

ナギサワ:ナチュラルハイ状態になっていて、「やるやる!」って強気に言っちゃいました。だって、自分がずっと背中を追いかけてきた人がツーマンで殴り合いしよって言ってくれて、断るわけがないから。わたしはあなたを超えるために頑張ってきたんだ! って思って、「あなた以上にお客さんを呼んでやる」って言ったら、「わたしが1年後どうなってるかわかってるの?」って返してくれてお互いメラメラしながらも、わたしは心のなかで、「うわー、どうしよう!!!!」って。

──はしゃぎつつも冷静に考えている自分もいて。

ナギサワ:そうなんです、急に自分の言ったことの大きさに気づいちゃって。どうしよう、やっちゃった! って焦りました。日がたつにつれて、自分はなんてとんでもないことを言ってしまったんだろう…って。ファンの人からも、「どうせ口約束でしょ」って思われたりもしたし。でも、そう思われるのは自分の実力がたりないからなんですよね。なぜあの動画を残したかっていうと、実現したかったからなんです。あれは自分のガソリンです。まずは自分をバンプアップしなくちゃいけないし。インターネットというタトゥーを残してしまったから。

──プレッシャーを糧にする自分を追い込み型なんですね。期間もそんなに長くないですよね。

ナギサワ:1年切っちゃってるんですよ! やばい〜!!!!! わたしは追い込まれないとなにもできないんです。今までも自分で自分のケツに火をつけて、ひゃ〜、誰か消して〜!!! って思って走ってきた人間だから(笑)。でも、そうしないと甘んじてしまうんですよね。でも、眉村さんとのZepp Hanedaがゴールじゃないから火をつけ続けるんだと思います。

どんなに土に還りたくなっても、わたしはまたヒカリを探してしまう

──「ヒカリ」で、"悔しい日々はいつか力になると願っても消えて無くなりたい"と思いながらも、自分に火をつけて走り続けられる原動力はなんですか?

ナギサワ:いい音楽を聴くたびに、「好きな人たちと音楽で仕事がしたい」って思うことです。でも、ずっと音楽がやりたいって思って走り続けているのに、急に自分への劣等感で落ち込むんですよ。もう土に還りたい…って。なのに土にもぐっても、またいろんな人のインスパイアを受けて成長したい気持ちが芽生えてしまう。そこから芽がはえてきて、花を咲かせたくなって太陽のほうを向いちゃう。どんなに土に還りたくなっても、わたしはまたヒカリを探してしまうんですよ。その矛盾と戦っている気持ちがいちばんあわられている曲だと思います。

──土にもぐってそのままぬけだせなくなってしまうときはないですか。

ナギサワ:ありますね…(笑)。それこそ今年の4月もそうだったんです。ずっと干からびて3週間くらい立ち直れなくて。ライブをしていても手応えを感じられない。自分はなにをしているんだろうって悲しかった。今までだったらいろんな音楽を聴いて立ち直ってたのにそれでもできない。こんなこと言いたくないけど、人って心底病んでいるときは音楽も聴けないんですよね。

──すごくよくわかります、音楽も聴けないし本も読めないし、アウトプットはもちろんインプットができなくなってしまう。よくそのなかでライブを続けられましたね。

ナギサワ:ブッキングで入っていたので、ほんとうに失礼だけどライブハウスに向かう足も重たかったんです。そのことに自分自身が気づいたときに、わたしは終わったって思いました。もう涙も出てこなかった。でも、ギターを弾いて「ヒカリ」を唄ったら、めっちゃいい曲だなって思ったんです。そしたら、あ、わたしまだ走れるって気持ちになった。あれだけ足が重かったライブが、ライブをやって息できるようになったんです。あの日は、この曲を作って本当に良かったって思いました。

──「ヒカリ」は作品自体がもちろん素晴らしいんですけど、ナギサワさんのこの雰囲気でこの声量で唄うからこそ余計に力が生まれる楽曲だと思います。

ナギサワ:ああ、ほんとうに活動してて良かったです…。よく演者さん同士が対バンで曲をカバーしあうじゃないですか?わたし全くカバーされたことがないんですよ。わたしの曲って良くないのかなって不安になったりします。なのに、「曲がすごくよかった」って言われると、曲がよくてもわたしである必要はないよなって思っちゃうときもあって。自分の作品なのにね。情緒がブランコなんですよ(笑)。

──「ブッ×××!」の、"いっぱい傷ついて ここまで来たのよ あなたは知らないでしょうけど"は実話からのエピソードとお聞きしたんですけど、ナギサワさんの歌詞はこうしてお話しをしたときの明るいイメージとまた違う一面がみられますよね。

ナギサワ:歌詞はだいたいは実体験です。って言うと、まわりの人に「え?」って思われちゃう歌詞もあるけど、全部が今のことではなくて詩のストックから昔の気持ちと今の気持ちをまぜているので…人はそうやって成長していくものなので許してくださいって感じです(笑)。でもわたし、いくら「チッ」って思って舌打ちしたい気分のときでも人に会うと嬉しくなっちゃって、イエ〜イ!! ってなっちゃうんです! 自然に切り替わっちゃうのかな。この曲を作った当時シェアハウスに住んでいたんですけど、ゴミを捨てる捨てない問題でルームメイトともめて曲になりました。怒った当日は、「許さねぇ、絶対歌にしてやるからな」って思って唄った記憶があります。(笑)特にこの曲のMVって、男性と女性ですごく意見がわかれるんですよ。女性からの共感がすごくて、長文のお手紙をもらったりもしました。男性はまぁそういうこともあるよね、って。軽やかで明るいコードで重い内容を唄っているので、よく聴いてみたら「え?!」と思ってくれたらわたしの思惑通りです(笑)。

──いよいよ念願のロフト全店舗ツアーが始まりますけど、意気込みはいかがですか。

ナギサワ:今まで自分がお客さん側で見ていたライブハウスに自分が立つのは不思議な感じです。今も、インタビューでこうしてロフトプラスワンに座って話しているのは不思議な気持ち。アーティストだったら堂々としろって思われるかもしれないけど、わたしはファンだった気持ちを忘れたくないんです。「自分はここに立ちたい」って憧れだった気持ちをちゃんと残したまま活動をするのが、自分のなかの大切な気持ちなんだと思います。その気持ちを大切にツアーをまわりたいです!

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