【山崎慎太郎コラム】イチローや野茂がいなかったら今の大谷翔平はいない

まだ幼さがあったイチロー

【無心の内角攻戦(22)】1994年にオリックスにイチローが登場して、ヒットを量産。どこに投げてもヒットを打たれるなか、僕はカーブがイチローと相性がよく、なぜか打ち取れる時期がありました。それしかなかったからずっと使っていて、彼もそこにハマっていた時期がありました。その後は対応されるようになっていきましたけどね。

毎年、えらい目に遭うのでイチローをどうやって抑えるかで捕手の古久保健二さんと頭を悩ませました。インサイドが弱いぞ、とずっと言われていても、それを散々打ち返していました。95年のヤクルトとの日本シリーズでイチローは執拗にインサイドばかりで封じられたけど、長期戦ではそうもいかないですよ。外を拾うのがホントうまかったし、片手でも届く。バットコントロールがうまいからインハイを意識させてのアウトローも全然役に立たない。でも、しいて言うならウイークポイントはインサイドというのは間違いないとは思いますね。

打撃練習ではスタンドにバンバン放り込むのに試合になったら全然違うし。長打に重点を置けば絶対に本塁打数は増えるのに、それやると率が落ちるからとの理由で大きいのを狙わないらしくて…。「だからといってヒットがポコポコ出るもんなん?」って。当時のオリックスは強くてイチローだけじゃないですし、とんでもない打線でしたよ。

僕らがまだ若手のころ、東西対抗で一緒になった時、彼は「有名選手のサインが欲しいんです!」って王貞治さんのサインをもらってました。サインとかユニホームを集めているらしく、少年ファンみたいに無邪気だったし、ニコニコとよくしゃべる子でしたよ。成績がどんどん上がってくると自分との闘いになってきて、周りの見方も変わっていったと思います。

彼は日本で7年連続首位打者を獲得し、メジャーでも成功しました。今も周りに「イチローや清原に投げてたなんてすごいやん!」とビックリされることありますよ。まあ、うれしいというより、そっとしておいてって思います(笑い)。野茂英雄にしてもイチローにしても想像を超えていったというか、パイオニアの野茂がいてイチローが野手で続いた。あの2人がいなかったら今の大谷翔平もいないでしょう。

通用するかどうかなんてわからないで行った。野茂だって94年のシーズン中にケガで離脱するわけだし、抹消される前は実際にボールも全然きてなくて、スピード上がらないし、抑えられなかったですもん。メジャーのメディカルチェックにひっかかるんじゃないかとか…。水面下でしっかりリハビリをやっていたんでしょうけど、つらい1年だったと思います。今、思えば、鈴木啓示監督とウマが合わなかったことがメジャー挑戦のきっかけになったのかもしれないし、合う監督だったらまだ近鉄に残ったかもしれないですよねえ。

☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

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