【昭和~平成 スター列伝】猪木VS〝人間風車〟ビル・ロビンソン 最高級の芸術品

猪木はロビンソンに完璧な卍固めを決めた

前回はアントニオ猪木が“鉄人”ルー・テーズから初勝利を挙げた歴史的な一戦(1975年10月9日、蔵前国技館)を取り上げたが、猪木の野望は燃え尽きることはなかった。同年12月11日蔵前では“人間風車”ことビル・ロビンソンとのNWF世界ヘビー級選手権で初対決に臨んだのだ。

73年にはストロング小林との日本人対決(団体のエース同士)、76年からの異種格闘技戦でも日本中を沸かせた猪木は、この時期「レジェンドキラー」と化した感が強い。60分フルタイムドローに終わったこの一度きりの対戦は、現在でも「プロレス史上屈指の名勝負」と評価が高く、同年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」年間最高試合賞を獲得した。

猪木32歳、ロビンソン37歳。テーズと“神様”カール・ゴッチが立会人となり、メルボルン五輪レスリング金メダリストで後に日本レスリング協会会長となる笹原正三氏が本紙に観戦記を寄せている。

プロとアマチュアの超大物が見た猪木対ロビンソン戦は、どのような意味を持っていたのか。3人の言葉と本紙の試合詳報をもとに改めて世紀の勝負を検証したい。

1本目は実に42分53秒、ロビンソンが逆さ押さえ込みで先制。ロビンソンはワンハンドバックブリーカー、サイドスープレックス、パイルドライバー、人間風車の大技を見せるが、随所でヘッドシザース、チンロックやネックロック、ヒジ打ちで動きを封じる。テーズはこの一連の攻撃を「フック(ひっかけ)戦法でありグッドホールド。猪木の心は乱れたと私は読んだ」と語り、小技により猪木の動きと心の乱れを誘うハイレベルな攻撃と分析している。

活路が見いだせない猪木はじっくりとしたグラウンドでの攻防から逆エビ固めなどのパワー殺法に出るが、2度目の逆エビをブリッジで逃れて押さえ込み、ロビンソンが1本目を先取している。

2本目はスタミナをロスした相手を猪木がスピードで圧倒。ブレーンバスターに出るがカウント2・9。すぐさま強烈なバックドロップを放つ。

「この放物線は私の全盛期に非常に接近したものであった。猪木はグロッギーと見て、再度スープレックスを狙ったが、ロビンソンはスタミナをロスしていなかったのではないか。実際に目には余裕と笑みが見えた。私は『若いなあ』と思った」とテーズは分析している。

しかし猪木はここから闘魂を発揮してスープレックスからヒジ打ち。敵の冷静さを奪うと、瞬時に手足をスルスルッとフックさせてオクトパスホールド(卍固め)で16分19秒、タイに持ち込む。「このタイミングは試合を通じて最高のものだった」とテーズは評した。

決勝ラウンド。だが残り時間はわずか48秒。50分以上、死力を尽くして戦った2人はもう気力しか残っておらず、無念にもタイムアップのゴングが鳴らされた。

ロビンソンと5戦5引き分けのゴッチは「時間が経つのも忘れた。昔、テーズとこんな試合をしたことがある。猪木とロビンソンこそ、私とテーズの後継者であると確信した。ベストマッチだった」と絶賛した。

笹原氏は「凄い試合だった。猪木とロビンソンのスタミナには驚かせられた。1時間レスリングをやってのけるとは驚きのひと言に尽きる。いったいどういう練習をしているのか、今度じっくり猪木さんの話を聞き、練習を見学させてもらいたい。とにかく私が感じたのはスタミナと精神力。アマチュアの重量級にこのスタミナと精神力がほしいですね。いい勉強になりました」と総括した。

猪木は「疲れた。ロビンソンという男は私が思っていた以上の男でした。これを機に飛翔し、また高い次元に目標を置きたい」と語った。ロビンソンは76年から全日本プロレスに参戦。猪木は同年2月6日のウィリエム・ルスカ戦から異種格闘技戦の道を疾走し始める。再戦の機会は訪れることはなかったが、ロビンソン戦は異種格闘技戦に進出する直前のプロレスラー・猪木が結実させた「最高級の芸術品」であった。 (敬称略)

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