【プロレス蔵出し写真館】ベルト奪取の藤波になりきって…猪木が“エセ祝勝会見”をセッティング

〝仮想〟藤波を祝福する猪木(88年10月、高石市)

「藤波、王座奪取おめでとう」。笑顔でアントニオ猪木から声をかけられる〝仮想〟藤波辰巳(現・辰爾)。

これは今から32年前の昭和63年(1988年)10月16日、高石・大阪府立臨海スポーツセンターの控室でのひとコマ。

藤波が奪取したのはPNW(パシフィックノースウエスト)ヘビー級王座。海外遠征中の藤波が、この日(現地時間は15日)米オレゴン州ポートランドでザ・グラップラーに挑戦し、サソリ固めでギブアップを奪い王座に就いた。この報を受け、誰の発案かはわからないが、花束と藤波の顔写真が用意され、メインに出場した猪木の試合後、藤波不在の〝エセ祝勝会〟が行われたのだった。藤波役を務めたのは木村健悟だった。

藤波はこの年の4月、沖縄・那覇市奥武山体育館の控室で、後に「飛龍革命」と呼ばれる行動を起こし、猪木が返上したIWGPヘビー級王座をビッグバン・ベイダーと争い王座を獲得した(5月8日、東京・有明コロシアム)。

長州力との防衛戦が無効試合となり、王座は一時預かりになったものの、再戦に勝利して王者に返り咲いた。8月8日には、横浜文化体育館で猪木と60分時間切れ引き分けの熱戦を展開し、試合後に藤波が越中詩郎、猪木は長州に肩車され、がっちり手を握り合うという感動のフィナーレを演出した。

そして、藤波は10月に「真の意味で自分の力、可能性を見つめ直したい」と12日に渡米する。

15日にPNW王座を奪取した後は、17日にテネシー州メンフィスに入りジェリー・ローラーのAWA世界ヘビー級王座に挑戦。レフェリーのアンフェアな判定で反則負けを喫し、王座奪取は成らなかった。

翌18日はケンタッキー州ルイビルでゴージャス・ゲリー・ヤングとのノンタイトル戦に勝利。21日にテキサス州ダラスではケリー・フォン・エリックの保持するWCWA世界王座とIWGP王座を賭けたダブルタイトル戦を行った。

この試合は無効試合となったが、海外遠征に出ていたザ・ニンジャこと武藤敬司、アラバマからは蝶野正洋も駆けつけ会談を持った。24日には西ドイツ(当時)へ飛び、ハノーバで船木優治(現・誠勝)とも接触。〝飛龍外交〟を終えた藤波は27日に帰国した。

さて、藤波は12月5日、名古屋でグラップラーとのリマッチに勝ちPNW王座初防衛に成功。同月9日、後楽園ホールでケリーと再度IWGP&WCWA世界のダブルタイトル戦を行って勝利。WCWA王座を奪取し、PNW王座と合わせ3冠王者となった。

翌10日、事務所で会見した藤波はWCWA王座を返上。結果的に3冠王者の期間は9日のみの1日天下だった。

PNW王座も10日(現地時間)のポートランド大会で3度目の対戦となるグラップラーに、急所蹴りからの片エビ固めで敗れ王座を明け渡した。

この遠征中、12日にメンフィスでトミー・レーンとIWGP王座防衛戦を行った藤波は、翌13日、イリノイ州シカゴで行われたローラーVSケリーのAWA世界&WCWA世界ダブルタイトル戦を観戦。勝利したローラーに対戦をアピールした。

果たして、藤波の〝飛龍外交〟は徒労に終わった感もある。翌年、船木はUWFに移籍。WCWAは斜陽を迎え観客動員が落ち込み数年後に崩壊した(敬称略)。

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