第24回「死体袋」

異次元の常識 text by ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)

この国の政府を変えることでしか、日本に住む人間たちや、これから生まれてくる生命は救われない

オリンピック開催と変異株の出現によって、コロナウィルスの感染が爆発し、ついに一般市民たちはコロナに感染しても入院すらできない事態にまで発展してしまった。 あまりにも無策で何もしないどころか、感染拡大のために一役買い続ける政府の失態は、国民を死の恐怖の中へと突き落としている。 そしてこのコロナウィルスの出現により、マスク不要論やワクチン陰謀論なども巷でははびこってしまい、一般市民たちも分断される結果となってしまった。 先日開催されたフジロックでの開催是非もそうだが、人間の恐怖感というものは、あからさまな分断を如実にし、その果てに恐ろしい事態を引き起こしてしまう場合も少なくない。 関東大震災でも「朝鮮人が井戸に毒を投げ込む」といったデマによる大量虐殺や、ルワンダで起きた根も葉もないラジオ放送の扇動による民族間の虐殺事件のほかにも、中世ヨーロッパでの魔女狩りにも見られるように、人は恐怖を覚えると常軌を逸した行動をいとも簡単に起こしてしまう。 人間の常軌を逸した行動の根底には、必ずと言っていいほど恐怖と分断があり、そんな歴史を繰り返している学習しない動物もヒトという生き物なのではないかと思っている。 現在の日本でも、恐怖の原因はコロナウィルスそのものであるのだが、先進国と言われる国々の中でも飛び抜けた愚策を行なう自民党菅政権と小池都政によって、恐怖の増大した一般市民の中で多くの分断が起きている。 フジロックにしても、確かにこの時期に開催するというリスクは個人的には首を捻らざるを得ないものはある。国から補助金を受け取っているのにという批判もあるが、運営に携わる人間やアーティストたちは、収入源が断たれている現実がある。 多かれ少なかれ現在の日本では、一部の特別に優遇される人間を除いて、同じような状況に置かれている人間ばかりであると思う。 飲食店やライブハウスにしてもそうだ。フジロックに出演するほど売れているバンドなどは一握りだが、それ以外の日々なんとかして活動しているアーティストたちだって、活動を制限されることで計り知れない被害を被っている。 「もうやってられない」と、酒類を提供する居酒屋などが繁華街には溢れ始め、少し前の時期であれば一部の店では行列になっていることもあった。 検査体制はいまだに有料で、ワクチン接種も進んでいない。マスクを否定するのも構わないが、これだけの感染状況において、もし感染した場合のリスクや、マスクをしていないことで不安や恐怖を感じる人間が存在するという事実は考えていないのだろうか? ワクチンを射つのも義務ではない。不安であれば射てばいいし、ワクチンが危険だと感じるならば射たなければいいだけの話で、そこに分断が起きてしまうのも恐怖心の表れであり、政府の無策が大きな原因であると思う。 コロナはただの風邪だという話を流す人間も多くいる。100歩譲って風邪だったとしよう。その風邪のおかげで入院できずにいるコロナ以外の患者が多数存在することは理解しているのだろうか? ただの風邪だろうがなんだろうが、実際には入院すらできず、自宅待機の上重症化する人間がいる。 俺の友人も、先日2人立て続けにコロナで亡くなってしまった。今まで何度も普通のただの風邪をひいたであろうし、インフルエンザにもかかって生き延びた人間だ。 数字の上で計算し、ほとんどの人間がコロナには感染していないとか、死者数が少ないという人間もいるが、その数字を発表しているのは誰なんだ? この感染爆発を引き起こし、自分たちの手に負えない事態に陥ってしまった張本人たちが発表している数字とは違うのか? 友人が2人もコロナで死んでしまった自分としては、「コロナはただの風邪」という説を到底受け入れることはできない。 ほら見てみろ。こうして俺も見事に分断の仲間入りだ。 こんなことをしている間にも、病院ではひっきりなしにコロナ患者の搬送や受け入れ体制を必死に模索し、なんとかしたいと保健所や救急隊員までもが必死になって闘っている。 コロナで自宅待機している人たちや、入院している人たち、濃厚接触者になってしまった人たちも、どれだけの不安の中にいるのか計り知れない。 原因はコロナウィルスであり、それを抑え込む方法があるのにやらなかった日本国政府であることは明確だ。 ここまで国民が逼迫した状況にも関わらず、2021年8月31日現在、国会も開催せずにいるのは、政府としての責務や機能を果たしていない。 2021年秋の総選挙では、投票権を持つ健康な人間と、投票行為というものを理解できる人間たちが何をすべきかは明白だ。投票行為を理解した上で投票を拒否する人間がいるのも分かる。 しかし現在、台湾などによって感染を抑え込む方法があると示されている中でも、この体たらくの政府である。 この先、コロナ以外の緊急的な事態も発生するだろう。そんなときに、今の政府だったらなどと考えるだけで、身の毛がよだつ。 この国の政府を変えることでしか、日本に住む人間たちや、これから生まれてくる生命は救われない。投票行為はそのための方法の中のひとつであり、せっかく持っている権利なので、俺は行使したいと思う。 俺の友人で、呼吸器外科医でありながらKANDARIVASというメタルグラインドコアバンドをやっている人間がいる。 その友人がコロナ禍の逼迫した病院生活の中で、先日『Blood Surgical Death』というアルバムを完成させた。 院内で受ける差別や、都から「助けてください」と送られてくるたくさんの患者で、コロナ禍の病院内はかなり大変になっているようだが、当然ながら病院にはコロナ以外の患者も存在する。 コロナ感染が爆発する中で、コロナ以外の重症患者もしっかりと診なくてはならない。 そんな狂気の中で闘わなければならない医者として、理性を保つために必死になって作り上げたアルバムだ。 コロナ患者が送られてくる一方では、多くの死体袋も病院には送られてくるという。 そんな相反する現実に晒されている医師たちは、どうにもできない気持ちを常に抱えているようだ。 俺は医師や病院関係者ではないので分からないし個人的な疑問なのだが、コロナがただの風邪だったとしたら、死体袋が送られてくるものなのだろうか? 俺たちはコロナによって分断され、政府によって分断され、コロナ以外のものにまで感染してしまっているようだ。 コロナで亡くなれば葬儀すらできない。今現在この状況に置かれている俺たちは、すでに友人との最後の別れの場さえ奪われ、ただ死体袋を待つだけの存在にされている。

「死体袋」 KANDARIVAS

貴様らの希望はどこにある

生への葛藤はどこにある

行き着くところは三途の川

生と死の境は死体袋

言葉を促せ 態度で示せ

死たる態度で見せてみろ

貴様らの遺伝子ごと

塞ぎ込んで

詰めて焼いて

あぶり出せ

屍人と屍人の重なりよりも

自らの汚染に意味をなす

生かすための施術

維持するための医術

死体袋で全ては変わる

死体袋に詰めて葬る

だれにも触らず

だれも感じず

感染したものは孤独

そのまま焼かれ ただれて

皮膚肉臓器は落ちて脆い こなごなの骨片となる

拾え拾え拾え拾え

全ての想いは死体袋に詰められ闇へ

さあまた待ちましょう

次の死体袋を

和太鼓を取り入れたエクスペリメンタル・トライバルグラインドコアを志向するKANDARIVAS。『Blood Surgical Death』は、バンドリーダーのトモキがコロナ禍において彼の本業でもある外科医として、医療現場で感じた危機感、病院に送られてきた死体袋、感染の恐怖などを楽曲に向けて吐き出し、制作されたコンセプトアルバム。

【ISHIYA プロフィール】

ジャパニーズ・ハードコアパンク・バンド、DEATH SIDE / FORWARDのボーカリスト。35年以上のバンド活動歴と、10代から社会をドロップアウトした視点での執筆を行なうフリーライター。

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