森林鉄道の蒸気機関車「雨宮21号」が大自然を駆け抜ける

北海道・遠軽町丸瀬布の「森林公園いこいの森」では、蒸気機関車「雨宮21号」が運行されています。昭和初期に製造された車両は、約100年経った現在も大自然の中を元気に走り回っています。森林鉄道蒸気機関車の動態保存は全国で唯一。希少性が評価され「北海道遺産」「準鉄道記念物」「林業遺産」「近代化産業遺産」に認定されています。

森林鉄道として丸太や生活物資を運搬

雄大な自然の中で出発を待つ雨宮21号

雨宮号は、1928(昭和3)年に東京・深川区(現在の江東区)の雨宮製作所で製造されました。国産初の11トン機関車で、全長5m27cmとコンパクト。18号形3両(18号・19号・20号)が製造され、昭和3年に武利意(むりい)森林鉄道に投入されました。このうち雨宮19号が1949(昭和24)年に車番変更され、「雨宮21号」として動態保存されています。

森林鉄道として活躍した歴史を持つ

武利意森林鉄道は、1928(昭和3)年に国有林から伐り出した丸太や生活物資の搬送を目的に、北海道庁拓殖部林務課によって敷設されました。戦時中は木材の需要が高まり、最盛期は森林鉄道ながら、支線も含めて総延長84kmに達しました。しかし昭和中期になるとモータリゼーションによるトラック輸送へ変換が進み森林鉄道は衰退。1963(昭和38)年3月末に全線が廃止されました。

当時の様子が記されている

昭和33年以降はディーゼル車が主流となり、蒸気機関車の運行が終了。雨宮21号は地域住民の保存運動により解体をのがれ、丸瀬布の営林署に保存されていました。その後、林野庁森林技術総合研修所林業機械化センター(群馬県)への移管協議が始まると、「雨宮21号は貴重な歴史資料であり、地元に残すべき」と、様々な要請活動や陳情、移管反対の署名行動などが展開されました。その結果、林野庁は移管を断念。1976(昭和51)年に丸瀬布町(現在の遠軽町)に譲渡されました。

観光資源として大切にされている

譲渡を受けることとなった丸瀬布町は、丸瀬布森林公園いこいの森内の旧武利意幹線の軌道の一部を使用して雨宮21号を走らせることを計画。1980年から動態保存を開始しました。運行期間は春から秋の土曜・日曜・祝日。夏休み期間(7月下旬~8月中旬)は、原則として毎日運転しています。運行時間は10時から16時30分で、12時30分を除いて30分間隔で出発しています。

雨宮21号はミニサイズでも迫力満点

少年にとって有人の改札は初めての体験

チケットを買って改札を通ります。ちびっこには鉄の塊である蒸気機関車の迫力はもちろん、駅員が切符を切るのも初めての体験。年配の方々も、機関士が石炭をくべる光景を興味深そうに見ています。誰もがワクワクしながら発車を待っていることが伝わってきました。

約2㎞を12分ほどかけて走る

ポォーという汽笛を鳴らして雨宮21号が出発しました。公園内はキャンプ場になっていて、バーベキューを楽しんでいるファミリーが手を振っています。

白煙をあげて突き進む
吊り革や網棚が残された客車内部

ミニサイズながら力強いピストンや、客車に立ちこむ煙は蒸気機関車そのもの。円錐形の大きな煙突は、火の粉の飛散で山火事を防止するための「火の粉止め装置」が内蔵されています。開園時に新造された開放型の客車のほか、大正14年に製造され岡山県の井笠鉄道で使用されていたレトロな客車が使用されています。

石炭をくべる手に力がこもる

雨宮21号の始動は、薪をくべて蒸気圧を上げる作業から始まり、注水、足回りの整備、油さしなど、数々の工程を経て午前10時の始発に備えます。走行区間内に上り下りカーブがあり、レールの状況を判断しながら石炭をくべていて、乗客が多いゴールデンウィークには8日間で1.5トンを消費したことがあるそうです。

列車は笑顔を運んでくれる

雨宮21号は約12分かけて公園内を一周し、いこいの森駅に到着しました。「楽しかった」という声が、あちらこちらから聞こえてきました。

ワクワク感がたまらない

生誕100周年に向かって走り続ける

2016(平成28)年8月に発生した台風で線路が流され、壊滅的な打撃を受けましたが、地域の子どもたちのボランティアによってレール上に堆積した枝や木片が除去されるなど、多くの人たちの懸命な復旧作業が行われ、翌年4月に運転が再開されました。雨宮21号生誕100周年まで、あと数年。いつまでも楽しさを与えてほしいですね。

文/写真:吉田匡和

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