「3度目の戦力外は言われたくない」元ロッテ成瀬が独立Lで現役にこだわるワケ

栃木ゴールデンブレーブス・成瀬善久【写真:川村虎大】

成瀬善久は昨年からBC栃木の投手兼任コーチとして活躍中

口から出る言葉の多くは“コーチの目線”だった。ロッテなどで通算96勝を挙げた成瀬善久は、2020年から独立リーグ「ルートインBCリーグ」の栃木ゴールデンブレーブスに投手兼任コーチとして身を置く。10月に36歳を迎える左腕は、マウンドに立ち続けながら若手に手本を示す。現役を続ける自らの今後を、どのように見ているのだろうか。【川村虎大】

「兼任って大変だなって感じていますけど、徐々に成果が出ているかなという感じですね」。昨年オフに元ソフトバンクの巽真悟投手コーチが退任。今季から投手コーチが1人になったため、自然と指導に費やす時間が多くなった。8月にはダニエル・ミサキ投手が巨人と育成契約を結ぶなど、指導者としての結果もついてきた。それでも、「去年はある程度、投手に専念させてもらったんですけど、今年は、試合を見ながら自分が出る準備もしなくてはいけないので難しいですね」と、試行錯誤の日々だ。

NPB経験者が再起をかけて独立リーグに所属するケースは少なくない。返り咲きは難しいのが現実だが、今年8月にロッテに加入した元広島・小窪哲也内野手のケースもある。ただ、成瀬の場合は、少年時代を過ごした栃木の地で続ける“目標”があった。

「NPBは正直無理だと思っています。それに、3度目の戦力外は言われたくないかな。それでも現役を続ける理由は、プロ入りした時の目標があるからなんです」。横浜高(神奈川)から2003年ドラフト6位でロッテに入団し、プロの世界で目標にしたのが2人の“長寿左腕”だった。

「プロ入りした当時、工藤さんと昌さんが活躍していて、『左投手は寿命が長いんだ』って勝手に解釈したんですよね。その時に自分も40歳までやろうと目標を立てました」。当時40歳だったダイエー・工藤公康(現ソフトバンク監督)、と38歳だった中日・山本昌を追い、「40歳現役」を掲げた。

栃木ゴールデンブレーブス・成瀬善久【写真:川村虎大】

2017年に1度引退を考えるも翌年に翻意「まだできるじゃんって」

ずっとその目標を持ち続けられたわけではない。ロッテからFAでヤクルトに移籍した3年目の2017年、現役引退を考えた。「よく言う『心と体がついてこない』と言う感覚でした。自分の持ち味の球が投げられない、投げたい球が投げられない。その時に、来年この状態だったらやめようと思いました」。

背水の陣で臨んだヤクルト4年目の2018年は1軍未登板。戦力外通告を受けたが、自身の感覚は違った。「色々変えたら、自分の中でパフォーマンスが上がったんですよね。その時に『まだできるじゃん』って。それからやめたいとは思わなくなりましたね」。その後、入団テストをへて2019年に加入したオリックスでは1年で戦力外に。たとえNPBでなくても現役にこだわろうと、ふるさとに戻った。

34歳、コーチ兼任での入団。チームに求められていることは分かっていた。若手世代の育成。それでも、現役で投げ続けることが指導に生きると信じている。

「失敗談も成功談も言える。コーチって上からああしろ、こうしろって言うことができる。でも、実際自分がマウンドに立ったらその状況は変わるじゃないですか。その方が伝えやすいので、自分が投げられるうちはマウンドに立ち続けようかなと思っています」

テークバックが小さく球の出どころが見にくい“招き猫投法”は今も健在。成瀬の現役は終わらない。体が動く限りは、NPBを夢見る若手に背中を見せていく。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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