根岸孝旨×クロダセイイチ(Genius P.J's)- 音楽だけを目標にしていると煮詰まってしまう、自分が感動するものを作りたい

30歳のときに、就職をしようか迷った

クロダ:コロナ禍で音楽を続けることについていろいろ考えるようになり、自分が影響を受けた曲や場所を作ってくれた方々に改めてお話しをうかがいたいと思い、今回は根岸孝旨さんにお越しいいただきました。根岸さんに初めてお会いしたのは3、4年前です。僕が所属しているバンド・Genius P.J'sを気にかけてくれている事務所のマネージャーさんが、バンドの音源を根岸さんに渡してくれたことがきっかけで、興味を持ってくださり飲みに行ったんですよね。

根岸:音源が単純にかっこよかったんだよね。当時、日本のラップはまだディスりあいが多かったんですよ。でもGenius P.J'sは、政治的な内容でも露骨すぎないリリックだったし、なんて理性的で頭のいいラップをする人たちなんだろうと思いました。クロダくんが作るトラックはロック感が強いし、他のDJとは目の付け所が違うな、と。

クロダ:ありがとうございます、光栄です。まずは根岸さんのルーツをお聞きしたいんですけど、大学時代は細野晴臣さんと高橋幸宏さんが主宰されていたYENレーベルでバイトをされていたんですよね。

根岸:そうです。池袋にYAMAHA東ショップというのがあって、そこにのちに仲良くなる人が集まっていたんです。当時、僕の大学の先輩がやっていたタンゴ・ヨーロッパというバンドがアルファレコードからデビューしたんですけど、僕はローディーをしていたんですよ。そしたらアルファレコードの人が、「あいつはよく働くぞ」って思ってくれたようで(笑)。ゲルニカのディレクターの方が、「これから新しくYENレーベルっていうレーベルを立ち上げるんだけど、ゲルニカのスタッフがいないから手伝ってくれないか」って声をかけてくれたんです。新宿の「ツバキハウス」とかで幸宏さんがライブをやるときに、僕はローディーとして現場に行ってたんですよ。それが1980〜81年のころですね。

クロダ:ゲルニカの制作現場って想像が全然つかないです。ああいった楽曲はどうやって制作や演奏をするんですか。

根岸:僕が行った頃はもう楽曲ができていました。当時はPCもない時代だったから、ライブ現場には上野(耕路)さんがレコーディングに使った2トラックのオープンリールテープを持って行ってました。それに合わせてキーボードを弾いて、戸川純ちゃんが歌うっていうスタイルです。それこそロフトに出演していましたね。

クロダ:昔、高橋さんと細野さんが司会で、池袋サンシャイン60でゲルニカがライブをするっていう夕方番組があって印象に残っているんですけど、今思えば、おふたりはゲルニカのバックアップをされていたからなんですね。

根岸:そんな番組があったんだ! ゲルニカのプロデューサーは細野さんですからね。

クロダ:それも含めて、今になって考えると、根岸さんの関わっている音楽に触れていることが多かったんだな、と。91年にリリースされた小泉今日子さんの『あなたに会えてよかった』では根岸さんがベースを弾かれていますが、作曲の小林武史さんはサザンオールスターズのプロデューサーをされていたんですよね。

根岸:そうそう、ちょうどその1年くらい前まで、桑田佳祐さんが監督の映画『稲村ジェーン』のサントラを小林さんと桑田さんが作ってたんですよ。そこに僕は「東京サリーちゃん」っていう曲で呼ばれていてベースを弾いて、そこで桑田さんに目をかけてもらったんです。実は、そのころの僕はもうスタジオミュージシャンはやめようと思っていました。ビクターに就職をしないかと声をかけてもらって、悩んでいたんですよ。

クロダ:根岸さんの音楽人生で大きなターニングポイントですね。

根岸:もう30歳になるのに、俺はこんなことでいいのかなって思い始めたんです。ちょうど岡村靖幸くんが『家庭教師』を出した頃、当時、岡村くんでドラムを叩いていた伊藤真視くんが結婚をしてドラムを辞めたんです。それを目の当たりにして、俺も人生を考えなきゃって。こんなフラフラしてていいのか不安になったんですよ。その話しが、当時のスピードスターの高垣健さんの耳に入って、「ちょうどビクターの社員がやめて大変なんだよ」って声をかけてくれました。だけど、僕はサザンでベースを弾いてしまったから、「もうちょっと音楽をやってみよう」と決めました。「東京サリーちゃん」で、小林さんと桑田さんに出会っていなければ僕はビクターの社員になっていたと思います。でも、ビクターの社員をやりながらサザンでベースを弾いてもかっこよかったよね(笑)。

自分自身をがんじがらめにしない

クロダ:根岸さんが所属しているバンド・Dr.StrangeLoveのメンバーが、Coccoさんの20周年記念ライブ武道館2DAYSの1日目で演奏されていましたけど、あのときは久しぶりにメンバーが集まったんですか?

根岸:そうですね。ギターは長田とムーンライダーズの白井良明さんでした。良明さんは、Coccoのファーストアルバム『ブーゲンビリア』で結構ギターを弾いてもらってるんですよ。あと、僕はスパイラルライフでベースをやっていました。

クロダ:えっ?! そうだったんですか!

根岸:そうそう、スパイラルライフのファーストとセカンドはほとんど僕がベースを弾いています。『FURTHER ALONG』は「LIFE IS SPIRAL」がL⇔Rの木下裕晴さんで、それ以外は全曲僕です。

クロダ:そうだったんですね、驚きました……! 根岸さんはミュージシャンのほかにプロデューサーとしても活躍をされていますが、ぜひお聞きしたいことがあるんです。僕は、楽曲単位でプロデュースをすることが多いんですけど、「こっちのほうがいいよ」とか、「こういうのはどう?」ってアーティストに提案をするときによく悩むんです。そこがかみ合わないときの葛藤はどうされていますか。

根岸:「これはやだ!」ってはっきり言われちゃうこともありますよね。「これは間違いない」って思うときは何度も説得をしようとするけれど、最近は、「それもありかもな」って思うようになってきたかな。こうじゃなくちゃいけないって自分自身をがんじがらめにしないようにしています。

クロダ:アーティストとして芯が強い=我が強いところは大切だと思うんですけど、相手が無茶なやり方をして作品を作っていると不安になってしまったりやりづらさを感じてしまうこともあって。ただ、お互いが自分のなかに持っている頑固さをぶつけて、完成したものは想定よりも素晴らしいものができたりもするし。

根岸:昔は、ライブでの見せ方まで全部自分で考えたかったし、こういう音楽をこういう感じでやったほうがいいってはっきりイメージをしていました。その分、そこからはずれるとイライラしちゃってたんですよね。最近はもう、「だいたんこんな感じ」っていう漠然としたイメージだけを思うようにしていますね。

クロダ:そう思うようになったのはきっかけがあったんですか?

根岸:自然に、かな。あまり我を張っているとアーティストとうまくいかなくなるし(笑)。他人と疎遠になるときは、自分自身まわりが見えていなくなっている状態のときが多いから。多分ね、ちょっと柔らかいくらいがちょうどいいんですよ。それに自分の意思がない人は、この時代にアルバムを作ろうと考えないはず。レコード会社に頼らずに自分で作ろうとしている人もいる。若い人たちのほうがフレキシブルだし、楽器の演奏能力は昔よりも格段にあがっている。僕が気づかないことにまでたくさん目を向けているんじゃないかって思います。最近は先に若い人の意見を聞いて、そこに自分なりの意見を乗せるようにしてます。今って、吸収しようと思えばいくらでも機会がある時代なんですよ。スクールもあるし、YouTubeもある。みんな情報収集能力が高い。それをちゃんと吸収して自分のものにしている人は、スピード感があるんですよね。

クロダ:そうですね、教本を見なくてもYouTubeでいくらでも勉強できますし。

根岸:僕らの時代はもうちょっとスピードが遅かったから。その分、1曲ずつが強いものだったという自信はあるけど。ただ、そんなことよりもやりたいことはすぐに試して、それがだめだったら次! ってどんどん変わっていける若い人の行動が楽しみだし、僕もそうありたいなって思うんですよ。意地を張っていても楽しくないから。ただ、これまでの音楽をいい感じに今に取り入れると若い子は新鮮に思ってくれるから、自分はそこの橋渡しをしたいです。

クロダ:いろんなアーティストをプロデュースされていますが、「この人は最初から違った」って思うことはありますか?

根岸:やっぱりCoccoは全然違いました。ちょうど沖縄のアクターズスクールからアーティストがたくさん出てきた時代で、Coccoはクラシックバレエをやっていたから、沖縄出身で踊れるっていうからダンスミュージック路線で話しが進んでいたようなんです。でも本人の話しを聞いていると、どうやらダンスミュージックよりもニルヴァーナとかが好きなんじゃないかなって漠然と感じました。歌詞は書いたことがないって言っていたけど、「なんでもいいから思ったことを書いてみて」とお願いをしたら、1ヶ月くらいで分厚いノートにぎっしり歌詞を書いてきて、その中にデビューアルバム『ブーゲンビリア』に収録している「首。」の完全版がありました。すごいじゃん! って思って、デモテープ制作に関わるようになったんです。ビクターとしては、鳴り物入りでデビューをさせたいから僕みたいな無名のプロデューサーじゃなくて有名な人に頼もうとしていたんだけど、Coccoが「ネギが一緒にやらないならデビューしない」って言ってくれて、僕がプロデュースをやることになりました。

クロダ:根岸さんがいろんな現場で音楽を作ってきているし、歌謡曲もやられているなかで、『ブーゲンビリア』ってすごくオルタナっぽい音ですよね。どうしてあのアレンジ方向で行こうと思われたんですか?

根岸:当時の自分の感覚でアレンジしていたら、たまたまああいう音になりました。最初からイメージしていたわけじゃないんですよ。

クロダ:アクターズスクールや小室哲哉さんのサウンドが全盛の時代に、あのオルタナ感は新しかったです。

根岸:当時、確かにああいった手触りの音楽は日本になかったですよね。Coccoのような強い個性とあの声じゃないと、『ブーゲンビリア』は生まれなかったと思います。

クロダ:自分の場合はプロデュースをしているときに、相手のパワーに自分があてられちゃうこともあるんですけど、楽曲と歌詞がリンクしていてすごく衝撃的でした。アーティストをいちばん輝かせるポイントってなんでしょうか。

根岸:ケースバイケースだから本人に会ってみないとわからないけど、例えばその人が前に出していた作品を聴いて、「自分だったらこうしたい」って思ったりする部分かな。その次はどういった曲を出したいのか聴いて、「僕で大丈夫?」って逆に確認するときもあります(笑)。

クロダ:Genius P.J'sはなんとか20周年を迎えられたんですけど、20年やるぞっていう気持ちはなくて続けていたらこうなった感じなんですけど、根岸さんはそれよりももっと長く音楽をされているんですよね。音楽に対して、離れたいと思ったことはありますか。

根岸:やっぱり30歳になるときの、社会的な不安は大きかったですね。このままスタジオミュージシャンをやっていて将来ご飯を食べられるのかなっていう恐怖にかられて。あとは3、4年前にもあったんですけど、「若い才能がいっぱい出てきたし俺はもう用無しだろうな」って思うときもあったんです。自分にはもう新しいことはできないんじゃないか、音楽業界にいなくてもいいんじゃないかって。今は、20代のころみたいに、「俺は世界進出してやるぜ」ってところまではいかないけれど、がんばって海外の人ともコラボレーションして仕事ができればいいなという欲が戻ってきています。あと、いまベーシストシーズンなんですよ。

クロダ:プレイヤーとしての熱がある時期なんですね。

根岸:そう。ベースのことを考えているのがすごく楽しくて!今日もザ・クルセイダーズを聴きながら来ました。ザ・クルセイダーズのサックスプレイヤーであるウィルトン・フェルダーはベースプレイヤーでもあって、ジャクソン5の「ABC」とか「I Want You Back」のベースを弾いている人なんですよ。最近は、その人が70年代に参加していたアルバムをいろいろ聴いているんです。70年代のディスコブーム直前のストリングスアレンジってものすごくよくできていて、そのころの音を今の音楽にのせたらって考えると楽しいんですよ。今の音楽って、1つ1つのメロディはいいんだけどそれを詰め込みすぎちゃって、「どこを覚えればいいの?」って感じになっている気がします。もうちょっとうまく整理したいな、と。大ヒットした曲って覚えやすいポイントが必ずあるんです。雰囲気がそれっぽければいいっていうわけじゃなくて、覚えやすいポイントがあって、そこに向かっていいアレンジをしていることを再認識したんですよ。そこを知っているかどうかはアレンジャーとして大きな差になるだろう思います。

クロダ:今のモチベーションってなんですかって聞こうと思っていたんですけど、そこにモチベーションの根本があったんですね。

根岸:でもこのまえレコーディングで70年代を意識して弾いたら、「ちょっといなたすぎません?」って言われました。ですよね、って(笑)。良い具合にのせていきたいですね。

なにかをしなければ俺は死ねないと思った

クロダ:自分自身も音楽の熱力が少し薄まっているような気もしていて、これから自分が新しいことをできるのかっていう不安があるんです。根岸さんが、今のようにまた音楽をやりたいって思えるきっかけはいつだったんですか。

根岸:発想の転換ですね。自分は音楽だけを目標にしていると煮詰まってしまうんだな、って気づいたんです。僕はもうすぐ60歳になるけど人のためになることができただろうか、と振り返ると、なにもしていないなって思ったんですよ。今後はそっちを目標にしたいと思うと、もうグチグチ言っている場合じゃないなと気持ちが奮い立ったんです。今までは、「いい家に住みたい」とか、「ハワイに別荘が欲しい」とかバブル時代的な発想が残っていたんですけど、そういうことじゃないなと。今の時代的にわかりやすく言うと、医療施設が足りないのならばそこに寄付をしたい。それができるような人間になりたい。でも、それって自分がある程度しっかりしないとできないことなんですよね。

クロダ:確かにそうですね。自分自身の生活もありますし。

根岸:今までいろんな人にお世話になったのに、自分はなにも返していない。なにかをしなければ俺は死ねない、って思うようになったんですよ。このままでは恥ずかしい気がして。実は、コロナの出始めのころは気持ちが落ちていて、死にたいなともよぎってしまって……。もう自分は罹患してしまえばいいのにとすら思っていました。今だったらまだ、「惜しい人を亡くしたね」ってみんなに思ってもらえるのかな、なんて考えたりもして。でも、そういう考え方は人間としてだめだったな。そこからかな。音楽のモチベーションではなくて、人間のモチベーション。そこが下がっていると全てダメになってしまったんです。とりあえず物事に優先順位をつけてまっさきにやらなくちゃいけないことからやろうって。ただ、優先順位の上位にある「部屋を片付ける」がずっとできていないですけど。部屋の汚い人は仕事できないからって言われています(笑)。

クロダ:根岸さんでもそんなこと言われちゃうんですね!

根岸:年下にご意見番がいるんですよ、厳しいですよ。でも確かに自分のアレンジでもそうだけど、あれはどこだっけ? って思うとますますとっちらかっちゃって。片付けは大切です(笑)。

クロダ:さきほどコロナのお話しが出ましたが、この期間で音楽へのスタンスだけじゃなくて毎日の生活でも変わってしまったことはありますか。

根岸:前は受け身でいても刺激がどんどんきていたのに、ライブができなくなったことで、自分から動かないと刺激を取り込めなくなりましたね。でも今は出歩いちゃうのもだめだし。ネットからだけ情報を得ていると自分がやられちゃうから、月並みですけど本を読んでちょっと体を動かしたら調子も良くなりました。

クロダ:それよく聞きますよね。夏はジョギングもなかなかしずらいですけど、体を動かすのはメンタル的にも良いですか?

根岸:8月前半の暑さはすごかったからジョキングもできなくなったけど、体を動かすってやっぱりいいですよ。でも夏は危ないよね。高校野球を夏にやるのもちょっと危ないよ、日本の軍国主義の名残だと思うけど、スポーツは逆境があってこそ、気合いで乗り切れっていうのは危険。少なくともスポーツの祭典を8月にするのは危険だからもっといい時期に変えるべきだし、時代に合わせて変えていくべきじゃないかな。ただ、コロナの最大の弊害はコロナ自体の怖さはもちろんもあるけれど、ネットの荒れ方だと思う。ひとつのトピックに対して、なんで言わないんだって言われたり、言ったら言ったでなんでそんなこと言うんだって言われたり。魔女狩りのようだよ。人は生きていたら絶対に誰かに失礼なことをしてしまっているので、なにか問題があったらそこを認めない許さないっていう風潮はこわいと思う。みんなヤケクソになって攻撃をしている気がする。匿名じゃなくちゃ言えないようなことばかり。

クロダ:ほんとうにそうですよね、なんでもありになってしまっている。根岸さんはこれからまだやってみたいことや願望はありますか。

根岸:やっぱり自分が感動するものを作りたいですね。もう4年以上前だけど、シガー・ロスを国際フォーラムで見たときに2曲めあたりから涙がとまらなくなったんです。新譜を聴かないでライブに行ったから知らない曲ばかりだったのに、こんなに感動するのはなぜだろうってくらい。先入観なく見たら今までにないくらい感動して、僕もこういう空間を作れたらいいなと思いました。あまりに感動したからサウンドを分析してみようかなって意欲も出たし。

クロダ:初めてロックを聴いたときのような初期衝動的な感動って、だんだん薄まってしまいますよね。まだそんな感覚はこれからももっていられるのかなって自分自身に不安になるときがあります。

根岸:でもね、音源だけ聴いていたり、YouTubeで見ているだけだったらここまでの感動はなかったと思います。やっぱりあの場で聴いたからなんですよ。音楽をやっていない人のなかには、「ライブなんて形態は古くなっていく、これからは配信の時代」って言う人もいるけど、僕はそうじゃないと思う。ライブやフェスに足を運ぶ人は、その空間じゃないと味わえない感動を知っているから行くんですよね。ライブという伝統はなくしたくないし。それに、ライブじゃなくちゃ伝えられないアーティストもいる。Coccoだって音源よりもライブを見た方がすごいし。ライブ会場ではお客さんたちが泣いているけれど、きっと音源だけを聴いても毎回泣いたりはしないですよね。だけどライブの空間では涙が出る、その空間自体を作りたいです。

クロダ:ライブという伝統っていう言葉はすごく深いですね。現場ならではの空気感ですね。

根岸:ライブには人の心を動かす威力があるんですよ。シガー・ロスがすごいのは歌詞もデタラメだったりするのに、音だけであんなに感動させるんだから、「すげえな!」って思います(笑)。こんな風に盛り上がれるし、また70年代とか80年代のソウルミュージックの細かいアレンジのかっこよさに気づいていつまでも興奮している自分がいるから、僕もまだまだ大丈夫だなって思っています(笑)。

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