「LIVE...1966」(1966年・Hi‐Hat) 憂き目に遭ったロイド 平戸祐介のJAZZ COMBO・7

「LIVE…1966」のジャケット写真

 ジャズのコミュニティーは、それほど広くはありません。そんな中で実力のあるグループが出てくると、有名で地位のあるミュージシャンが、そのバンドのメンバーを引き抜いてしまうようなこともあります。今回は才能に恵まれながらも「ジャズの帝王」と呼ばれるトランペット奏者、マイルス・デイビスに目を付けられ、バンドメンバーを強引に奪われてしまった非運のサックス奏者、チャールス・ロイドについてお話します。
 1960年代に活躍したロイドはデイビスに引けを取らないほど、音楽に関しては美的センス、鋭い嗅覚の持ち主でした。斬新で革新的なジャズに果敢にトライし、新人の発掘、育成においても能力を発揮します。特に当時新人だったドラマーのジャック・ディジョネット、ピアニストのキース・ジャレットを従えたロイドのカルテットは、ファンのみならずジャズシーンの羨望(せんぼう)の的となりました。
 しかし、そんな彼らをデイビスは見逃しませんでした。自身の音楽的変化を求め、バンドメンバーを頻繁に替えていたデイビスは68年、ロイドのバンドからディジョネットとジャレットを次々に引き抜くという、ジャズ史に残る“事件”を起こします。
 これに対し、年齢的にもキャリア的にもまだ若手だったロイドは、なすすべがありませんでした。バンド活動がうまくいかなくなり、意気消沈したロイドは体調まで崩してしまいます。そして、ジャズシーンの表舞台から10年以上も姿を消す羽目になるのです。
 そんなロイドですが、憂き目に遭う前の66年、ラジオ局での実況録音を中心とした名盤「LIVE…1966」(Hi-Hat)を残しています。時代の最先端を行くロイドのアンタッチャッブルな音楽性が凝縮されており、演奏からはメンバーそれぞれの奇想天外な発想力が半端なく伝わってきます。
 余談ですが、デイビスのバンドに引き抜かれたディジョネットとジャレットは、ロイドに対して多少の後ろめたさを感じつつも、彼ら自身のキャリアをステップアップできたことを喜んでいたようです。デイビスも才能あるメンバーを得て、数々の金字塔を打ち立てていきます。
 ジャズの世界にはこうした弱肉強食な部分がありますが、淘汰(とうた)されたミュージシャン同士が生み出す“化学変化”によって根幹が作られてきたのも事実なのです。(ジャズピアニスト、長崎市出身)

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