「よく知らない人は『政党を渡り歩いている』と言うが、全て私が政党を作った」乙武洋匡が立憲民主党・江田憲司氏に迫る!

選挙ドットコムでは、乙武洋匡氏をMCに迎え選挙や政治の情報をわかりやすくお伝えするYouTube番組「選挙ドットコムちゃんねる」を毎週更新中です。

今回は2021年7月10日に公開された対談の様子をご紹介。ゲストは立憲民主党・江田憲司議員です。政治家になった経緯や江田議員の信念について伺いました。

 

菅義偉氏の誘いがあって出馬を決めた

最初の話題は、政治家になった経緯について。

江田議員は、「総理秘書官を辞めてハワイへ行く前、自民党の議員が送別会を開いてくれたり、餞別を渡してくれたりした。だから、ハワイから戻った時には議員会館をまわって、ハワイのお土産を渡しながら挨拶していた。その中に菅義偉さんがいたが、菅さんは96年の総選挙(橋本政権になって初の総選挙)に初当選した議員。菅さんは橋本元総理のことを頼っていた。

橋本元総理も菅さんのことが可愛いから『(菅さんを)応援してあげてくれ』と僕に言ってきた。橋龍チルドレンは、菅さんの他にも下村博文さんや河野太郎さんなど錚々たるメンバーがいる。菅さんは僕に『候補者がいなくて困っている選挙区があるから、ぜひ出てくれ。お金も全部私が出すし、選挙スタッフも揃える。地元の自民党の合意も私が責任を持って取り付ける』と言ってきた。

だけど、僕は政治家に嫌気が差していたし、自民党の人間は立派な人じゃなかった。大学の先生になって後進の育成がしたいと思っていたところに菅さんからの誘いがあり、『そこまで仰るのなら出てみようか』と自民党からの出馬を決めたのが2000年の総選挙だった」と話しました。

乙武氏は、「こんなに長く政治家をやると思っていましたか?」と尋ねます。

江田議員は、「出るからにはすぐ退散する訳にはいかないと思っていた。でも、1回目の出馬時は中田宏さんに負けた。NHKの世論調査でも、1週間前までは1ポイント差でリードしていたし『あなたは自民党公認だから比例では復活するよ』と言われていた。

そんなとき、選挙3日前に森喜朗元首相が『無党派は寝ておいてくれたほうがいい』と発言した。うちの選挙区は田園都市線で渋谷から20〜30分のところで、みんな無党派。落選後に落選議員が集められたとき、総理秘書官時代に良く知った間柄であった当時の野中広務幹事長と亀井静香政調会長がいた。そこで私は『総理大臣の応援を受けたいとは思わなかったが、ここまで足を引っ張られるとは思わなかった。なんで今日森総理は来ていないんだ』と言った」と振り返りました。

 

「政界再編」を訴え続けてきた

江田議員は自民党から出馬したことで、しがらみ選挙を嫌と言うほど味わったそうです。

「各種業界団体のボスのところに連れ回される。結局そういうところに足を引っ張られ、だんだん江田憲司がなくなっていた。私も総理秘書官時代は改革派と言われていて、橋本内閣時の6大改革をやらせて頂いた。それが、業界からの票が欲しくて阿る(おもねる)自分を発見した。

それで落ちたから、自己嫌悪感と共に『こんなことやってはいけなかった』と思って自民党を出た。その後はテレビのコメンテーターをやらせて頂き、それなりに年収もあったから『これで生きていけるかな』と思っていた。そんなとき中田宏さんがいきなり横浜市長選挙へ出ることになり、補欠選挙が行われることになった。

支援者の皆さんに『こんな絶好の機会はない。あなたはテレビにも出ているから当選する。今まで我々が応援してきたのは何だったんだ』と言われ、出ざるを得なかった。その結果、自民・民主相手にダブルスコアで勝たせて頂いて今がある。純粋無所属で政界再編を訴えたが、当時〝めざせ政界再編〟とポスターに書いた政治家は私だけだった。

『官僚出身で生活感がないな』と言われたが、私はこれが信念。自民・民主の中身を知った上で試行錯誤してきた。よく知らない人は『政党を渡り歩いている』と言うが、全て私が政党を作った。その証拠に全部の政党で代表や幹事長、代表代行になっている。個人と政党の違いもあるから100%の理想にはなっていないが、結果として今は立憲民主党の中にいる」と話しました。

 

最大の目的は〝緊張感のある国会〟を取り戻すこと

乙武氏は、「僕が一番ワクワクしたのは、みんなの党の結党だった。自民でも民主でもない第三極として期待していた。今振り返ると、なんでポシャったのですか?」と尋ねます。

江田議員は、「党首が安倍前総理と相当親しいものだから、特定秘密保護法をめぐって党内でも議論していないハードルの低い修正案を出した。それを飲んだ形にして、自民党と組むという姿勢を見せた。みんなの党は、自民党と連立することや自民党へ入るために結党したわけではない

それは話が違うということで、離党した15人で結いの党を結党した。『みんなの党が続いていたら、今のような政党状況の中では光を当てて頂けたのではないか』と思うが、仕方ない。僕の分裂の歴史は全て、自民党に擦り寄る勢力との分裂だ。私は自民党のことを知っているが故に、自民党と組んではいけないと思っている。

自民党は必要な政党だが、切磋琢磨できる政党があって初めて、緊張感のある国会・政治、すなわち国民本位の政治ができるということ。今は緊張感がなさ過ぎるから、やりたい放題になっている。立憲民主党は150人規模になった。緊張感のある国会を取り戻すのが今の最大の目的だと思う」と話しました。

最後に乙武氏は、「もし時計の針を戻せるなら、あの時に戻りたいというポイントはありますか?」と尋ねます。

江田議員は、「やっぱり脱官僚・地域主権を掲げた、みんなの党です。今、脱官僚はある程度できたが、地域主権のほうは全然できていない。また、みんなの党は経済に強く、日経新聞がインターネット調査をすると支持率は50〜60%だった。今、立憲民主党で経済政策調査会長を担当しているが、立憲民主党や野党は経済に弱いイメージがあるから、それを払拭したい」と話しました。

 

江田憲司氏プロフィール

1956年岡山県生まれ。東京大学法学部卒業後、旧通商産業省に入省。官房総務課、資源エネルギー庁等を経て、1987年、ハーバード大学国際問題研究所フェロー(特別研究員)。1990年、海部・宮澤内閣で首相官邸に出向(内閣副参事官)し、総理演説や国会対策を担当。その後、産業政策局、通商政策局等を経て、1994年、村山内閣で橋本龍太郎通産大臣秘書官。1996年、橋本内閣で総理大臣秘書官(政務担当)。内閣総辞職と同時に通産省には戻らず退官。 退官後、桐蔭横浜大学法学部客員教授等を経て、2002年、衆議院議員に無所属で初当選。その後、みんなの党(幹事長)、結いの党(代表)、維新の党(代表)、民進党(代表代行)を経て、現在、衆議院議員6期(無所属)。

 

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