急逝・風間ルミさん「激動の生涯」 北斗晶に敗れ丸刈り、引退後は神取忍の公設秘書も

急死した風間ルミさん(東スポWeb)

女子プロレス団体「LLPW(現LLPW―X)」の初代社長で、1990年代の女子プロ対抗戦ブームの立役者となった元プロレスラーの風間ルミさん(本名斉藤ルミエ)が死去したことが22日までに分かった。55歳だった。死因などは不明。ミスター女子プロレスこと神取忍(56)の盟友として活躍しただけでなく、タレント、飲食店経営者などマルチに活動した「肝っ玉姉さん」はあまりにも早く天に召された。

誰からも頼られ、慕われる姉御肌の人だった。東京・台東区出身で、1982年にキックボクサーとしてデビュー。シュートボクシングを経て、86年にジャパン女子プロレスに入団した。ストロングスタイルを貫いた同期の神取とは対照的にアイドル路線を歩み、「都会の流星」で歌手デビューも果たした。

92年にジャパン女子が崩壊してJWP勢と分裂すると、一念発起してLLPWを旗揚げ。女子プロ史上初の社長兼レスラーとなった。神取を筆頭にイーグル沢井、穂積詩子、紅夜叉、ハーレー斉藤、キャロル美鳥、半田美希ら個性が強い選手たちをまとめ、当時最大勢力だった全日本女子プロレスに果敢に立ち向かった。

92年8月29日に後楽園ホールで旗揚げ戦を開催すると、「半年で潰れる」と酷評された団体を少しずつ軌道に乗せ「太腕繁盛記」と関係者たちを驚かせた。転換期となったのは対抗戦ブームだ。風間さんは93年11月に北斗晶と敗者髪切りマッチを行い敗北。潔く丸坊主となった。しかしタダでは転ばず、3日後の大会から丸刈り頭を逆手に取ったSM女王様コスチュームで話題を呼んだ。

興行の手腕にもたけ、世界初の女子バーリトゥード大会となる「L―1」を95年7月(駒沢公園体育館)と98年10月(両国国技館)に開催した。

2002年に引退を表明し神取に社長の座を譲ると、03年8月の後楽園大会で現役生活にピリオドを打った。引退後は芸能活動を再開し舞台女優として活躍。飲食店の経営を手掛ける一方で、食育インストラクターや心理カウンセラー1級の資格も習得。講演活動も精力的に行っていた。また06年10月に神取が参院選で繰り上げ当選した際は公設秘書として支えた。

昨年11月には自身のユーチューブチャンネルを開設。工藤めぐみらとの対談模様や近況をアップしていた。しかしツイッターでは8月30日に「久々にジワジワきている子宮内膜症の痛み。この痛みのため、全く何も手をつけられません」と投稿され、翌31日には「痛みは薬でおさまっているけど、今回はかなりの月経過多で貧血。買い物に行こうとしたけど、クラクラして動けない」と体調不良だったことを明かしていた。9月5日にピザを食べた話を投稿後は更新されていなかった。

酒はめっぽう強いが涙もろい一面もあった。レスラーとして経営者として、そして1人の女性として誰からも愛された風間さんの雄姿は、ファンの胸に一生残り続けるだろう。

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