イップスの苦しみが“転機”の始まり… 子どもたちに伝える「心との向き合い方」

アスレティックトレーナーの川島浩史さん【写真:荒川祐史】

U-12川島浩史トレーナーは“トラウマ”から始まり新しい道へ

トレーニング方法で、選手のパフォーマンは大きく変わる。けがを防ぎ、潜在能力を引き出すには正しい指導が欠かせない。スポーツに様々な立場から関わる人物の経験を掘り下げる連載「プロフェッショナルの転機」。第5回は、12歳以下(U-12)侍ジャパンのアスレティックトレーナー、川島浩史さん。最新の知識とトレーニングをプロから少年まで伝えている川島さんがトレーナーを志したのは、高校時代の“トラウマ”からだった。

「今でも緊張した場面では出てしまいます」

20年経ってもつらい記憶がよみがえる。薄れることはあっても、消えることはない。U-12の日本代表でアスレティックトレーナーを務め、プロ野球選手のトレーニング指導もしている川島浩史さんは、人生の転機となった出来事を明かす。

都内の高校で野球をしていた川島さんは、捕手として試合に出ていた。「推薦で東京六大学に進み、メジャーのトライアウトを受けることなど、構想が中学生の時からありました」。思い描く将来に向けて、高校でも着実に階段を上がるはずだった。ところが、ある日、異変が起きる。18.44メートル先、マウンドに立つ投手まで送球ができない。「イップス」だった。

イップスは心理的な影響が筋肉や脳細胞にも及ぶもので、プレッシャーによって極度の緊張を感じて筋肉が硬化し、思い通りのパフォーマンスが発揮できなくなる。原因は1度の送球ミスだった。野球部のグラウンドに付いていた屋根が低かったため、川島さんが投げたボールが屋根に当たってしまった。グラウンドに大きな音が響き、指導者や先輩に怒られたという。1年生だった川島さんは「2度と同じことをしてはいけない」とプレッシャーを感じ、思ったようにボールを投げられなくなった。

「イップスに負けないように、どうにか治せないかと練習しましたが、恐怖心が染み付いてきました。忘れたと思っても思い出してしまい、試合に出ないとイップスに屈したと考えていました。今考えると、それが良くなかったと思っています」。

大きな出会いだった仁志敏久氏との時間に感じたこととは…

当時は、まだイップスが広く知られていなかった。結局、川島さんは完治しないまま、高校生活を終えた。イップスは初期段階で投げることをやめて悪いイメージを忘れ去ることが重要で、川島さんは時間が経っていたこともありイップスの感覚を忘れることができなくなってしまい完治しなかったという。この状況では上のレベルで野球を続けるのは難しいと考え、中学生から掲げてきた目標を断念した。ただ、貴重な出会いがあった。当時JR東日本の野球部に所属していたトレーナー。ボールを投げられなくなった理由はイップスと指摘され、改善策を教わった。他にも、けがのリハビリや筋力トレーニングについても学ぶきっかけとなり、トレーナーの役割や可能性を知った。「イップスになった選手や、けがをした選手をサポートする」、「リハビリやトレーニングを学んで野球の現場を変える」。川島さんは新たな目標を定めた。

トレーナーの他に、高校野球の監督を目指す道も選択肢としていた川島さんは、大学で教員免許を取った。そして、指導者やトレーナーに必要な知識を得るため、専門学校に通った。卒業後は、スポーツ選手やチームをサポートする「ワイズ・スポーツ&エンターテインメント」で勤務。ここで、川島さんは価値観を覆され、「トレーナーの道1本に絞ろう」と決断する。

主な仕事の中に、巨人や横浜でプレーした仁志敏久氏と一緒に開催する野球教室があった。そこで、衝撃を受ける。自分が高校までに教わったことと、プロの指導がまるで違っていたのだ。体の正面で打球を捕るのが当たり前だった川島さんの耳に、「捕球のしやすさと、送球までを考えると、今の打球はあえて逆シングルで捕った方がいい」というプロの言葉が入ってくる。プロの選手は内野ゴロに対しても、ボールのバウンドが見やすいように、また送球にスムーズに移行するために少し膨らみながら捕球体制にはいる。自分の当たり前が、もう当たり前ではなくなっていた。

「高校で習った知識を今の高校生に教えたら、プロとは違う技術を教えてしまうと思いました。技術はプロの方に、私はトレーナーになって、フィジカルトレーニングとアスレティックリハビリテーションで子どもたちや親御さん、指導者をサポートしていった方が関わった方々に貢献できると思い、トレーナー1本でいこうと決めました」。

特に大きなきっかけとなったのは、仁志氏との出会いだった。「ワイズ・スポーツ&エンターテインメント」の山本晃永代表が巨人のトレーナーをしたことから、川島さんも仁志氏の自主トレを担当。その縁もあって、仁志氏が監督として率いるU-12の侍ジャパンでアスレティックトレーナーを務めた。日本の選手はアメリカやパナマの選手らと比べると体は小さく、パワーではかなわない。しかし、技術は負けていなかった。日本は2017年の「第4回 WBSC U-12ワールドカップ」で4位に終わったが、川島さんは正しい体の使い方を身に付ければ、対等に戦えると感じた。同時に、必要なトレーニングがジュニア世代に広まっていないと課題も見つけた。

小学生の年代でもプロの可能性を感じる選手もいる

例えば、川島さんは加速や減速、方向転換を取り入れて俊敏性を鍛える「アジリティトレーニング」をウォーミングアップに組み込んだが、ほとんどの選手が最初はうまくできなかったという。それは、能力がないのではなく、経験がないからだった。大会期間の10日間ほどで、ほとんどの選手がポイントを理解し、できるようになった。野球は前進以外にも、横や斜めの動きも多い。スピードがある選手も、横や斜めに動く練習をしていなければ、速さを最大限に活かせない。川島さんは「ステップワークはサッカーでは広まっています。野球はプロの中では練習に入っているので、いかに育成年代まで落としていけるかが大事になると感じました」と振り返る。そして、U-12の経験がトレーナーとしての決意を新たにした。

「チームには小学6年生にもかかわらず、高校生に匹敵する守備力やリーダーシップのある選手もいました。このレベルの選手が、プロ野球選手になれなかったら大変なことだと感じました。中学に入るとけがをする選手が増えます。将来ある選手がけがで諦めないように中学や高校での正しいトレーニング・リハビリの指導が大切でだと思っています」

トレーニングや指導で子どもたちの将来は変わる。イップスで野球をあきらめた川島さんには、その大切さや思い通りプレーできない苦しみが分かる。だからこそ、最新の知識や技術を追求し、広めようとしている。

○川島浩史
1986年4月22日生まれ、千葉県出身。日本大学第一高等学校で捕手としてプレー。日本大学で教員免許を取得し、卒業後に東京スポーツ・レクリエーション専門学校でトレーニングの知識を学ぶ。現在勤務するワイズ・スポーツ&エンターテインメントでは、子どもからプロまでトレーニング指導。2014年からU-12日本代表でアスレティックトレーナーを務める。日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー。

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