白鵬引退の裏側 脳裏にあった「6場所休場」と“昭和の大横綱”大鵬の言葉

綱を張り続けた白鵬(ロイター)

大相撲の元横綱白鵬の間垣親方(36)が1日、東京・両国国技館で引退会見を行った。

2000年10月の来日から当初は受け入れてくれる部屋がない中、宮城野部屋への入門が決まり、力士人生がスタート。間垣親方は「やっぱり宮城野親方(元幕内竹葉山)に声を掛けてもらえたおかげで今があると思うので、この場を借りて師匠に感謝しております」と述べた。

角界入りの際は「横綱になりたいという夢はありましたけど、45回優勝したいという目標はなかったです。一つひとつの積み重ねがこの結果につながったと思います」と振り返る。

入門当時は体が細かったが、準備運動に時間をかけて稽古で汗を流した。原動力の一つは師匠の存在だったようで「(宮城野)親方に褒めてもらいたい一心で稽古に励んでいました。その思いが関取、横綱大関に昇進していくことにつながったのかなと思います」

そうして07年夏場所後に横綱昇進を決めた同親方は、すぐに〝綱の重み〟を感じた。

「横綱に昇進したころは、うれしい気持ちがありましたけど、右も左も分からないときに大鵬親方に『横綱の宿命の中で頑張らないといけない』『負けたら引退』という言葉を掛けられた。32回優勝した昭和の大横綱の言葉は重かったです。それから横綱として3年、5年、8年、10年頑張りたいという気持ちになりました」

自身は7月の名古屋場所で優勝を果たしたが、昭和の大横綱の言葉は何度も頭に浮かんだという。「特に6場所休場というのは大変重いものがありました」。

横綱900勝まであと1勝に迫りながらも古傷の右ヒザはすでに限界に達していた間垣親方。

「今後は師匠のもとで一から親方として勉強して頑張っていきたいなと思います」と力を込めた。

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