日本を本道へ、強くてやさしい国へ。世界の中で日本の存在感を高めよう。山田賢司さんインタビュー【PR】

銀行員から政治家に転身した自民党の山田賢司さん。民主党政権時代の「逆風」で自民党の公募に応募。これまでに外務大臣政務官や法務委員会理事などを経験し、外交や経済政策に取り組んできました。政治家になろうと思ったきっかけや、外交問題に寄せる思いなどについて伺いました。

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選挙ドットコム編集部(以下「選コム」):政治家になろうを思われたきっかけはなんでしょうか?

山田賢司さん(以下、「山田氏」):元々は銀行員をやっていて、政治はものすごく縁遠かったのです。一般の人と同じで、政治は特殊の人がやるものだと思っていました。一生懸命働いて税金を納めておけば上々だと、地域のことはボランティア活動などを色々やっていたからそれでいいと思っていたのです。

でも、2010年に尖閣諸島の漁船衝突事件があって、このままでは日本の外交や防衛はダメになってしまうのではないかと、当時は民主党政権だったのですが、民主党に言うよりは長年政権を担ってきた自民党に「しっかりと対処してほしい」と意見を送ろうとしました。

ウェブのご意見箱みたいなところに送ろうと思って、ホームページを開いたら画面のトップページに次の衆議院選挙の候補者の公募をしていたのです。その募集をしていた選挙が、たまたま兵庫の西宮と芦屋で、僕がボランティアをやっていたところでした。それで勝手に勘違いしましてね(笑)これは、俺に「やれ」って言っているかなと思い、書いて応募してみたら、出てくれ、ということになりました。

G20大阪 インド・モディ首相と

選コム:公募で応募して、議員になれるものなんですね(笑)

山田氏:自民党で議員をしていると、大体の人は安倍総理の元でラクに選挙を勝ってきたと思うのですが、私たちが公募に手を挙げた時は民主党政権下だったので、「なんで自民党からでるんや」という逆風が吹いていましたね。

誰も手をあげないから公募が空いていたと。もしみんながやりたかったら、県議会議員さんや、いろんな人が手を挙げていたと思うんですよ。なり手もいなくて公募になった。同期の議員で話をすると、みんなそんな民主党政権下で、「自民党からでて大丈夫か?」みたいな逆風の時に手を挙げていた人達です。

その後一年半ぐらい経って民主党が支持率を下げて、選挙戦に突入した時は自民党は追い風ではありましたが、公募の時点では民主党全盛みたいな時でした。

選コム:小さい頃になりたかったものは何でしたか?

山田氏:小さい頃は探検家になりたかったです。世界中のいろいろなところに冒険にいくのは憧れました。あと、学校を作りたいと思っていた時もあります。学校に行きながら、こんな教育でいいのかとか思っていたことがあって、社会に役に立つことを教える学校を作ったほうがいいのかと思っていました。

選コム:国会議員として力を入れてきた事はなんでしょうか?

山田氏:外交問題には特に力を入れてきました。政務官を通じて海外に行かせていただいた時に、国際機関で話をしたりしたのですが、そんな中でやはり、日本のプレゼンスをもっと高めないといけないと感じました。世界の中での日本の存在感をもっと高めなければいけない。

外交というと、遠いところで誰かが勝手にやってくれるものと思われるかもしれませんが、外国とのつながりをしっかりとやってくことが日本の国内の事にも通じるし、国民にとっても幸せになるということ。特殊な人だけがやっていてはいけないと思います。

その後外務大臣政務官が終わり、党に戻ってからも国際機関での日本人のプレゼンスの強化は提言を出したりもしたのですが、もっと色んな人にも世界のつながりに関心をもってもらいたいと思います。

これは政治家もそうだし、役人の外交官もそうだし、民間もそうだし、若い人ももっと世界を見て、世界を見た上で日本の大事さとかね、日本でどう活躍するっていうことが大事だというのを知ってもらいたい。そのような思いがあって、いろんなところで若い人たち、学生や高校生に外交や世界を見るということについて講演をさせてもらっています。

選コム:これから成し遂げたいことや、目標はありますか?

山田氏:まさに日本を本道へ。日本を本来あるべき姿に戻してしっかりと自信をもって、経済もそうですし、存在として自分たちに誇りを持てる国にしていくことが必要なんだと思います。

 

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