ヒクソン戦が内定していた時期に勃発…船木誠勝が語る99年「安生洋二の前田日明襲撃事件」

襲撃後、囲み取材に応じる安生洋二(1999年11月14日、東京ベイNKホール=東スポWeb)

ハイブリッドレスラー・船木誠勝(52)が、これまでに遭遇したさまざまな事件の裏側や真相を激白する話題の企画。今回は1999年11月14日に千葉・東京ベイNKホールで勃発した安生洋二の前田日明襲撃事件を俎上に上げる。マスコミを通じて罵倒し合い、一触即発の状態になっていた両者。ついに起きてしまったテロ事件に、船木は何を思ったのか――。

【THE FACT~船木が見た事件の裏側(9)】いきなり「ドーンっ!」という大きな音がしました。「始まったな」と思いました。次はもみ合う音だろうなと。でも、何の音もしない。「え?」と思いました。見ると人だかりになっています。近くに寄ってみると、すごい大きな物体が転がっていました。前田さんです。血を流して完全に失神しています。「救急車」と自分は誰ともなしに指示を出していました。

殴ったのはUWFの仲間だった安生さんです。インタビューを受けている前田さんをななめ後ろから襲ったんです。実は前日から不穏な話が伝わってきてたんですよ。「前田さんと揉めたら殺る」と安生さんが言ってるみたいな。オマケにウチ(パンクラス)の高橋義生も「前田さんとケンカになったら殺る」と言ってて。2対1じゃないですか。イヤだなぁと思いました。前田さんと安生さん、高橋が会場で会わないことを祈ってたんですが…。

どうしてこんなことになったのか説明しましょう。安生さんと前田さんの確執は94年、リングスとUWFインターナショナルの対抗戦が持ち上がった際「前田なんて終わった人間。高田(延彦)さんが出るまでもない。自分が200%勝ちますよ」と安生さんが挑発したことに始まります。前田さんは「安生、タダじゃ済まさん。家族の前で制裁してやる」と応じました。

これでUインターは前田さんを名誉棄損と脅迫で告訴。とりあえず前田さんが謝罪会見を開いてこのときは収まったんですが、96年の「サムライTV」(スカパー)開局パーティーで、前田さんが安生さんを軽く小突いたんです。そんな因縁がずっとあって、安生さんはNKホールで襲撃することにしたんでしょう。

高橋が前田さんに何で牙をむいたかというと、発端は鈴木みのるがオフレコで前田さんのリングスの悪口を言ったことなんです。どこかの記者さんからそれを聞いた前田さんは怒って「鈴木、ボコボコにしてやるから出てこい」と。大きく報じられました。それを見た高橋は「パンクラスにケンカを売るやつは俺が許さない。前田日明を殺す」とリング上で叫んじゃって…。

前田さんは前田さんで「高橋クンは関係ない。俺が言ってるのは鈴木だから」と、やめようとしない。ホント、勘弁してくれと思いました。パンクラスは社長こそ尾崎(允実)さんにやってもらってましたが、何でも最後は自分のところにくるような状況。しかも当時はヒクソン・グレイシー戦が内定して、それで頭がいっぱいになっていました。だから、そんなことに自分を巻き込まないでくれと思いましたね。

結果として安生さんは傷害で起訴されて罰金刑となりました。「相手にする価値もないやつだから」という理由でそうしたと前田さんは言ってましたが、残念がってましたね。UWFで育ってきた人間が、自分を後ろからやるなんて恥だと。でも、前田さんも、そこまで安生さんを追い詰めたのはよくなかった。当時の前田さんはすごいしゃべる人で、みんなから嫌がられていました。自分も「もう関わりたくない。しゃべらないでくれ」と絶縁宣言したくらい。それでも言ってくるんですから。

UWFの内輪揉めですね。グレイシーとか強いやつに一致団結して立ち向かわなければいけないのに、揉めてる場合じゃないだろうと思ってました。やる必要のないケンカでしたね。

【今回の事件】1999年11月14日、東京ベイNKホールで行われたUFCジャパンの大会前、安生はインタビューを受けていた前田の背後から殴打。前田は一撃で失神、救急車で搬送された。「前にやられたときのお返し」で安生は殴ったというが、傷害罪で略式起訴され、罰金20万円となった。

☆ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月13日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルはキング・オブ・パンクラシスト、3冠ヘビー級王座。得意技はキック、掌底など。

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