【仲田幸司コラム】星野仙一さんもほめてくれた!母の日にプロ初勝利!!

中日・山内監督(左)と阪神・吉田監督

【泥だらけのサウスポー Be Mike(21)】 1年目の1984年はファームでじっくり鍛えていただきました。そして満を持しての2年目、85年はキャンプから一軍帯同、開幕一軍というチャンスをいただきました。

最初はビハインドの場面での登板でしたが、登板を重ねるごとに少しずつステップアップしていくのを感じていました。
そして、5月5日の中日戦です。吉田監督が僕にプロ初先発のチャンスを与えてくれました。僕が高校野球で活躍した記憶が、ファンの方々の記憶にまだ新しかった時期です。

プロ初先発の舞台を甲子園にしてくれたのは、吉田監督の粋な計らいだったんだと思います。

僕はしかし、その試合では5回3失点で敗戦投手となってしまいました。ただ、吉田監督は僕にもう一度、先発のチャンスをくださいました。
それが僕にとって本当のプロとしてのスタートを切れた大きな日となります。

5月12日のヤクルト戦(神宮)でした。この試合、僕はプロ2度目の先発で9回3安打無失点、初完投初完封でプロ初勝利を飾ることになりました。

3回に僕が一死から左前打で出塁して真弓明信さんの四球で一、二塁。その後、二死一、二塁からバースの中前適時打で先制点をもらいました。4回は岡田彰布さんと佐野仙好さんの連続二塁打でもう1点追加です。そのままスコアは2―0で勝利しました。

9回、最後のバッターはマルカーノでした。三遊間の深いところのゴロを平田勝男さんがしっかりアウトにしてくれました。

この日は母の日でした。試合が終わって宿舎に帰ると、監督の部屋に呼ばれました。吉田監督は「マイク、ようやったなあ。今日は何の日か分かってるやろ」と声を掛けてくださいました。もちろんです。母の日ですと答えました。

そして「お母さんに親孝行できたなあ。これからもっと孝行しいや」と手紙の入った封筒を手渡されました。

その中には、今の純粋な気持ちを忘れずに野球に取り組むこと。阪神には取り巻きや、タニマチと呼ばれる存在がいてチヤホヤしてくれるが、今の気持ちを忘れずこれからも謙虚に頑張るようにという内容の文章が書いてありました。

そして現金で10万円、監督賞として同封してくれていました。もちろん、当時の僕にとっては大金です。僕はもちろん、そのお金をそっくりそのまま沖縄のお袋に送りました。

その後は食事をする間もなく、NHKさんからのインタビューが待っていました。プロ初完封という結果を受けて、ナイター後に急きょホテル内からの中継の準備をしてもらい「サンデースポーツ」に出演させていただきました。

その当時の映像は今もネット上に残っていて、僕も見たことがあります。星野仙一(故人)さんがパーソナリティーをされていました。まだお若かったですね。
母の日に阪神に新星が生まれた。阪神ファンとして有名だった星野さんが「阪神にもいい投手が出てきたねえ」と言っていただいたのを覚えています。

このシーズン、阪神は快進撃を続け優勝することになるのですが、僕の立場はというと一人の若手にすぎません。次回は優勝するときのチームの雰囲気など、当時の僕からどう見えていたかという点をお話ししたいと思います。

☆なかだ・こうじ 1964年6月16日、米国・ネバダ州生まれ。幼少時に沖縄に移住。米軍基地内の学校から那覇市内の小学校に転校後、小学2年で野球に出会う。興南高校で投手として3度、甲子園に出場。83年ドラフト3位で阪神入団。92年は14勝でエースとして活躍。95年オフにFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。

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