【仲田幸司コラム】通りかかった掛布さんに「ビールかけてよろしいですか?」

「オアシス」だった木戸さん(左)と平田さん(東スポWeb)

【泥だらけのサウスポー Be Mike(22)】1985年の5月12日、母の日にプロ入り初勝利を挙げました。それもプロ初完投、初完封という華々しいものでした。

プロ1勝という経験は大きかったです。猛虎の一員になれたなどと、新聞なんかで書いてもらうこともありました。でも、実際はまだまだでした。それは自分が一番分かっていました。

シーズン前半に1勝できました。でも、先発ローテーションで投げさせてもらえるような立場ではありません。基本は試合序盤で先発投手が崩れたときや、ビハインドでの登板が多かったです。

たまたまプロ初勝利を先発初完投、初完封で挙げさせてもらいましたが、僕には「荒れ球」というイメージがあり、そこまでの信用はありませんでした。

昔でいうところの「谷間の先発」という存在です。それでも一応、85年のシーズンは25試合に登板して17度の先発、3勝4敗、防御率4・38という成績を残すことができました。

沖縄から出てきた高校生が2年目に、リーグ優勝したチームで3勝させてもらったのは本当にいい経験でした。

残念ながら日本シリーズでの登板はなかったんです。ずっと一軍にはいましたし、ベンチには入らせてもらっていました。

西武球場から甲子園に戻ってきて負けている展開で「このまま点が入らんかったらマイク、次行くぞ」と言われていたのですが、点が入って福間納さんが登板していきました。
一軍に上がってから最初はもう、ベンチにおってもどこにいていいかもわかりませんでしたね。ザ・昭和な雰囲気でね。そら、みなさんパンチパーマに金無垢のネックレスといういでたちですよ。川藤幸三さんを筆頭に。

年功序列が厳然としてあった時代背景ですしね。真弓さんも佐野さんも掛布さんも岡田さんも大先輩ですから。こっちがあいさつしても返事してくれたら、ありがとうございますみたいな世界ですからね。

年齢の近い平田さんや木戸克彦さんはまだオアシスでした。

ビールかけも体験しましたね。もう成人してましたから。でも、優勝した立役者みたいに振る舞えない。だから、隅っこの方でこそっと平田さんにビールかけたりしていました。

でも、たまたま、隅っこにいたら掛布さんが通りかかったんですよ。瓶ビールを手に「掛布さんビールかけてよろしいですか?」と聞いたら「どうしたんやマイク。そんなもん今日は何でもOKや。はよかけんかい」と言っていただきました。

現代のようなご時世なら「イエーイ」と言って先輩にビールをかけたんでしょうが、そうはいきません。掛布さんは雲上人です。

両手でビールをしっかり持って「失礼します」と言って、ビールをかけさせていただいたのを覚えています。

日本一はあれ以来ないんですよね。92年にヤクルトと優勝争いしたときには真弓さんや岡田さんはもうベテランで、85年を若手として経験していたのは僕と和田豊さん、木戸さんくらいしかいなかった。

しかし、あの85年の虎フィーバーはとんでもない空気でしたね。勝つ喜び、頂点に立つすごさ、プロのすごさというかね。どこに行っても大歓迎してもらえて、勝ったらこんなええことばっかりあるんやと思いましたね。

でも、その後すぐに低迷期が来るなんて夢にも思っていませんでした。

☆なかだ・こうじ 1964年6月16日、米国・ネバダ州生まれ。幼少時に沖縄に移住。米軍基地内の学校から那覇市内の小学校に転校後、小学2年で野球に出会う。興南高校で投手として3度、甲子園に出場。83年ドラフト3位で阪神入団。92年は14勝でエースとして活躍。95年オフにFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。

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