被爆直後に行われた平和公園の設計案を募集する資料に、原爆ドームを残す前提で設計するよう要望が書かれていたことがわかりました。
【古武家朋哉 記者】
「初めて公開されたこちらの資料の画像。表紙には元安川沿いにたたずむ原爆ドームが描かれています」。
この資料は1949年、広島市が作成した平和公園の設計案の募集要項です。
当時、原爆ドームを残すのか、取り壊すのか、論争が繰り広げられていましたが、
応募条件として残すことを前提に設計するよう記載されていたことが初めてわかりました。
【原爆資料館学芸課 菊楽忍さん】
「(平和公園の計画段階から)原爆ドームを残そうという意思が、あったということがわかる。その点が大変重要な点です」。
資料は、世界遺産登録25年を記念したパネル展で公開されています。