韓国紙「《任那日本府説》は朝鮮侵略正当化のための道具」「その植民史観が韓国学会にも脈々と...」

古代に日本が朝鮮半島南部に植民地を持ったとする「任那日本府」説について、韓国紙が激しく反発している。理由は、韓国では伽耶遺跡と呼ぶ同地域の世界遺産登録に、日本書紀に出てくる地名を用いることへの抵抗感だ。

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全北道民日報は18日、キム・ミョンソン記者の寄稿文『全北が、古代日本が2百年統治したという土地だと?』を掲載した。

キム記者は、南原(ナムウォン)と長水(チャンス)地域(※いずれも全羅北道)で確認された伽耶遺跡をめぐり歴史論争が起きているとし、「遠い昔に南原は《己汶國(キムン国)》、長水は《伴跛國(パンパ国)》だった」「キムンとパンパすべて倭国が支配した任那に属する土地だった」「結果的に倭国が全北まで統治した」などの主張が今もあることについて植民地支配のための手段であったと不快感を示した。

キム記者は、「日本は、この地(朝鮮半島)を植民地にした理由を歴史記録から作り出そうと没頭した」とし、「任那を伽耶にしてしまえば、日帝の侵略は、古代歴史において2百年(369年〜562年)植民地にした昔の歴史を生き返らせたことになる」「すなわち、植民地統治の合理的根拠となる」からであると説明した。

伽耶遺跡地

このような学説(任那日本敷設)を造ったのは当時日本の政府系学者である末松保和(すえまつやすかず)だが、キム記者はこのような主張が、「これまで韓国学界の植民史観にも脈々と続いている」と指摘した。

キム記者は、同説が成り立たない理由として、「当時の時代状況が盛られた韓国歴史書と中国の歴史書に記録が全く無いという点である(三国史記、三国遺事、三国志、後漢書など)」とし、「一方、議論の多くは日本の歴史書(日本書紀)のみであり、それさえ、朝鮮総督府が植民地支配を合理化するために《根拠もなく勝手に解釈した》という点にある」と説いている。

キム記者は、むしろ事実は逆であるとし、伽耶の土地が日本の地に広く分布していたと指摘する。同じ時代に百済や新羅の日本進出が活発だったとの史的根拠が豊富にあることを挙げた。

現在、全羅北道の東部地域では相次いで伽耶遺跡が発掘されているが、「これは伽耶の歴史文化を新たに照明する機会である」とキム記者は主張し、かつて中国東北部にあった夫余(プヨ)と高句麗、百済、新羅に加え、伽耶の5カ国が並立した時代に新たな照明を与えるべきであり、「わずか百年前に日本政府系の学者個人の険悪な主張に縛られる問題ではない」と強調した。

今月5日には韓国与党議員もこの問題を国会で質している。与党・共に民主党のパク・チョン議員は同国文化財庁の国政監査の席において、文化財庁が伽耶遺跡の世界遺産登録において日本書紀の表現(己汶國・多羅國)を用いていることを批判した。

パク議員は、日本書紀の記述を根拠とする「任那日本説」が日本植民地時代を美化するためのものであり、代表的な植民史観であり、問題であると指摘した。

一方で文化財庁は、己汶國・多羅國などの国名は、中国の外交文書である「梁職貢図」にも記録されており、現在の古代史学界の多数の見解を取り入れたものであるとし、問題がないとの立場を示した。

これに対してパク議員は「文化財庁が主張する《梁職貢図》には《己汶》ではなく《巳汶》とあり、三国史記にも巳汶と記されているとの主張も提起されている」と反論している。韓国の学会が《己汶》と《巳汶》を混同したことで起きた顛末であるとの見方を示している。

「任那日本説」に絡む今回の世界遺産の申請名称に関しては、韓国で様々な物議を醸している。

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