燕・村上が不動の4番に成長した4年間 小川GMが語る育成方針と驚きの成長スピード

ヤクルト・村上宗隆【写真:荒川祐史】

高卒選手への球団の基準は「3年目で1軍戦力」も上方修正

ヤクルトが26日、2015年以来のセ・リーグ制覇を果たした。強力打線をけん引したのは、不動の4番に成長した村上宗隆内野手だろう。シニアディレクター(SD)として獲得に携わり、入団1年目には1軍監督を務めていた小川淳司ゼネラルマネジャー(GM)が、金の卵に与えた育成プロジェクトや成長スピード、一流選手となるために備わっていた要素などを明かした。

九州学院で捕手だった村上の育成プランは明確だった。「打撃という特徴を生かすためにどうするか。捕手ですぐにレギュラーは考えづらいので、打撃を生かすために三塁手として、1年目は徹底的にファームで鍛えよう」。球団では基本的に高卒選手は「3年で1軍戦力になること」を一つの基準に置く。ドラフト1位で入団した村上も同じだった。1年目は体力強化、2年目は技術力向上、3年目に1軍の戦力になることを目指して、育成はスタートした。

春季キャンプでの状態を元に3月の育成会議で各所が報告を行い、具体的な方針が定められる。村上は三塁手として徹底的に試合出場を重ねることが体力強化にもつながるとして、シーズン450~500打席を目安に定めた。試合プラス練習、栄養、休養のバランスを取ることは高卒新人にとって簡単ではなく、精神面や体力面で立ち止まってしまう選手は少なくない。しかし村上はイースタン・リーグで主に4番として打率.288、17本塁打、70打点。最終的な打席数は「427」だったが、これは9月に1軍昇格を果たしたからであり、周囲の予想をはるかに超える成長曲線だったことが分かる。

当時1軍監督を務めていた小川GMが振り返る。「前半戦終了後くらいに高津2軍監督(現1軍監督)と話をしたら“1軍で十分戦力になり得る”と。誰に聞いてもそう言った。それでシーズン終盤に、次の年に向けた“環境作り”として1軍に呼んだんだ。やはり2軍でいくら打っても、1軍の舞台は違うから」。2018年9月16日の広島戦。環境を経験するために初めて1軍の舞台に立った村上は、プロ初打席初本塁打と、またしても予想をはるかに超える結果を見せたのだった。

村上の入団1年目には1軍監督を務めていた小川淳司ゼネラルマネジャー【写真:編集部】

「村上という人間の“芯”があったからここまでこられたのだろう」

一流選手になるために必要な、高いポテンシャルと努力は誰もが認めるところ。小川GMはもう一つ、村上に備わっていた大事な要素を感じているという。

「誰もが努力をしたら必ず身になるかといえばそうではない。村上は考え方がしっかりしていた。一言で言ってしまうと“性格”となるのかもしれないけど、前向きで物怖じしない。凄く自分というものを持っている。それが一番の長所なのかな」

SDとして2017年、早実と九州学院の練習試合を初めて視察した際、逆方向の左中間へ本塁打と二塁打を放った打撃と、高校生とは思えない体格の良さに驚いたという。同時に印象に残っていたのは、捕手としてチームを鼓舞し、勝利への思いを全面に出す姿だった。

縁に導かれ、清宮(現日本ハム)の外れながらドラフト1位で獲得。12月の入団発表後の会食で隣の席になった。「とにかくよく食べる。遠慮しないし、こちらが質問したときの答え方も自分を変えず、いい意味で大人に気を遣っていない感じがした。性格的に大物になるのかなって。そういう部分も彼がここまできた大きな武器になったんじゃないかな」と振り返った。

プロ野球の世界に入ると、より多くの人からアドバイスをもらう。成長のきっかけとなる一方で、打撃フォームを崩したり自分を見失う選手も多い。だからこそ、若くして自分をしっかりと持っている村上は強かった。小川GMは「ここまで来るのに良い思いも悪い思いもしたと思うし、ブレることもあっただろうけど、村上という人間のしっかりした芯があったからここまでこられたのだと思う」と精神的な強さを称えた。

今季は中心選手としてベンチで大きな声を出す姿も多く見られ、小川GMは「勝ちたいというのがすごく出ている。ああいう姿はいいよね」と目を細める。ポテンシャル、努力、性格を兼ね備えた熱い4番が、6年ぶりの頂点に導いた。(Full-Count編集部)

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