ヤクルト・青木宣親V手記 〝終身名誉キャプテン〟が山田哲人と村上宗隆へ檄言

本紙に手記を寄せた青木

ヤクルトが26日のDeNA戦(横浜)に5―1で勝ち、2位の阪神が敗れたため、6年ぶり8度目のリーグ優勝が決まった。昨年まで2年連続最下位。開幕前の順位予想でも軒並み低評価だったが、今季141試合目で頂点へと駆け上がった。新キャプテン・山田や主砲・村上ら、ナインを陰で支え、バットでもけん引したのが前主将で“終身名誉キャプテン”の青木宣親外野手(39)だ。チーム最年長野手が思いの丈を手記につづり、本紙に寄稿した。

信じてはいたけど、2年連続最下位から一気にこんなふうに優勝という結果になるとは。本当にうれしいです。優勝したい気持ちがありつつも、その場所に行くにはまだたくさんの課題があると思っていましたから。

今年は前半もいい戦いをしていたんですけど、特に後半は目標も明確になってきました。みんな優勝したいっていう気持ちが出たと思いますし、それにつられてチームも締まった試合が多くなった気がします。自分は、チームの状態がいい時も悪い時も、みんながいい雰囲気でプレーできるようにというのは心掛けていました。

他の選手にもクラブハウスに来る時はいつもフレッシュな気持ちで来てほしいということはずっと言ってきました。負けても勝っても、変わらずに新しい気持ちで一日を過ごしてほしいという気持ちからです。

何よりも監督がそういう雰囲気のチームにしてくれたと思います。もともと高津監督はすごくコミュニケーションを取る方ですが、今年はなるべくストレスがないように配慮してくれていましたし、そういうのを選手も感じていましたからね。そういう雰囲気に監督がしてくれたので、選手はそこで結果を出すことに集中できたことも勝因の一つですよね。

自分は2011年に優勝に手が届きそうな位置にいて、でも優勝を逃しています。そういう過去があっての今年でした。その時の経験を教訓にしたことがあるとすれば新型コロナにかからないようにしたことですかね。11年は肺炎でシーズンの最後の最後で主力がごっそり抜けた。だからそういう状況にしたくないという思いがありました。今年は自分も2度、濃厚接触者になって、その時は家でもマスクしたりして対策していました。

2度目に濃厚接触者になった時は開幕直後で、隔離が明けて外に出た時はフワフワした変な感じがしました。2週間狭い所で過ごしていたから、そこから体を動かしたり、ボールを追い掛けたりするのはきつかった。自分が思っていた以上に調整は難しかったですね。

今はこうして動けていますけど、動き始めはケガしそうになりました。でも離脱している時に外から試合を見て、みんなが一丸となっているのを見てうれしかったです。それまでもそういう意識はもってやってきましたけど、いい雰囲気で毎日を過ごせて、粘り強く最後まで諦めないでプレーするというのは、自分も先輩たちにそのように教わってきましたし、それを伝統にしていってほしいと思ってました。野球はずっと変化しているので、うまくアップデートしていきながら伝統も大切にしていけば、必ず常勝軍団をつくれると思います。それにはみんながそういう意識を持つことが大事だと思いますし、そういうふうに自分も行動してきたつもりです。

変化といえば今年からキャプテンになった(山田)哲人ですね。どちらかといえばスマートにやるタイプですが、キャプテンはいろんなタイプがいるから自分らしくやればいいと思います。哲人オリジナルのキャプテン。それができる選手だと思いますし、今年から7年契約でずっとヤクルトにいるということですから。これからもこうやって引っ張ってほしいなと思っています。

あとは村上ですね。自分が米国から帰って18年から再びヤクルトでプレーするようになり、その年のオフの自主トレに村上を誘ったのですが、その時、スワローズに若いホームランバッターがなかなか出てきてなかったような記憶があったんですよね。特に大きいのを打てるような軸がいたら、という思いがあって。そこが一番育ちにくいところでもあります。軸がいたらチームが変わるんじゃないかなと思ったんです。それで自分なりに行動しました。やっぱり3、4、5番を打てるような若手が出てきたら、哲人も一人で背負わなくていい。哲人に続く、そういう選手が一人でも二人でも出てきたら…という気持ちがありました。今年は優勝できましたけど、今年だけじゃなくて来年もしたい。やっぱりずっとスワローズが強い状態をつくっていくことが大切だと思います。常勝軍団ヤクルトの時代をつくっていけるように、これからも頑張っていきたいです。(ヤクルト外野手)

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