祝オリックスV! 戦友が語る〝サメという男〟中嶋聡監督の「経験値」

「サメ」という愛称の中嶋監督(東スポWeb)

優勝へ〝隠れマジック1〟としていたオリックスが27日に25年ぶりのリーグ制覇を成し遂げた。同日に2位のロッテが敗れ、本拠地・京セラドームで待機していた中嶋聡監督(52)が選手たちの手によって3度宙に舞った。阪急、オリックス、西武、横浜、日本ハムと渡り歩き、日米でコーチ業も経験。6年連続Bクラス、2年連続最下位のチームを就任1年目で頂点に押し上げた「サメ」という愛称の指揮官を、かつての同僚たちはどう見たか。1995年、96年にリーグ連覇した当時のV戦士が知る〝サメという男〟とは――。

決して選手層も厚くないなか、経験の少ない選手を積極的に起用した。宮城、紅林、杉本らをブレークさせて、驚きの大躍進。一方で選手に無理をさせず、効率的な練習をさせることでコンディションにも配慮した。

投打の柱である山本、吉田正を中心に若手とベテランをかみ合わせ、6月末から首位を快走。9月、10月のロッテとの一進一退のデッドヒートを制してみせた。

阪急、オリックスで苦楽を共にした藤井康雄氏(59)は現役時代を振り返り「サメ(中嶋監督)はどちらかというと、やんちゃでちゃらんぽらんなところがあった。酔っぱらって試合前練習に来ていたこともあった。勉強熱心なふうには見えなかった」と笑う。阪急では上田利治監督、オリックスになっても仰木彬監督に厳しく指導され、よく怒られていたという。1996年からオリックスでプレーした大島公一氏(54)も「どちらかというとチョケていて、あまり闘志を出さず、頑張っている姿をむき出しにしない選手だった。いい指導者になるなんて、まったく思わなかったですよ」と証言する。

それが「西武、横浜、日本ハム、米国にも行って、いろんな球団を渡り歩いていろんなことを学んだ経験値が大きい」と藤井氏は見ている。「自分は現役時代に怒られていたのに、指導者になって選手を責めない。失敗してもまた使う。それで選手は自信をつけ、信頼関係ができる。『責任は全部俺が取るから思い切ってやれ』という仰木さんの考えが生きていると思う」

大島氏は「あれだけ長く捕手をやっていたんだから、経験も知識もすごい。阪急で中沢伸二さんとか、西武では伊東勤さんとか、いい捕手との出会いもあったでしょう。大きなケガもあったし、練習の大切さも分かっている。必要以上に選手を叱咤激励せず、いい雰囲気をつくっているのがいい」とベンチでの冷静さが選手に伝わっていると分析する。

人気球団の阪神から移籍し、オリックスで中嶋監督とバッテリーを組んだ野田浩司氏(53)は、忘れられない言葉があるという。人の少ない客席に戸惑っていたのを見て「阪神ならお客さんが乗せてくれるけど、パ・リーグは自分でテンションを上げていかないとダメですよ」。その一言でチームにもパの雰囲気にも慣れた。得意のフォークの配球でも「外、外を攻めてからフォークにしましょう」と、それまで頭になかった提案をされて「こんな攻め方もあるんだ」と思ったそうだ。

今季の中嶋采配で気になった点については「とにかく思いきりがいい。リリーフの使い方も『ここでいくか』というのが何度もあった。経験の少ない選手なら点差がついたところで使いそうなものだけど、大事な場面で使うのがすごい」。経験値に裏付けられた勝負勘で選手を信頼し、伸び盛りの選手を使い続ける。責任の所在は監督の俺。ポーカーフェースに隠された絶妙な操縦術で、中嶋監督は最大の番狂わせをやってのけた。

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